音を読む 本を聴く

イトウの音と本の綴織

【日記】2018年7月15日朝

▶︎昨日は起床してから日常生活諸々。買い物をする。食品小売の仕事をしていていたのでスーパーマーケットに行くのはどうしても仕事目線になる。リアルにマーケットに出向くのって好きなんですよね。

▶︎でそれ以外は読書。

 

(日本人)

(日本人)

 

 橘玲さんの本は随分前から読んでいたが、

 

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

 

 

残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する

残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する

 

 

私がハマってきた考え方や現実に起こった罠についてちゃんと書いてあるではないか。痛い、しかしこれらの現実をしっかり踏まえて生きたいと思う。

▶︎娘の保育園時代の同じクラスの子のお母さんから妻がメールをもらった。その子も大学に合格して目下将来「税務」で身を立てるためにすでに大学1年で「就職活動」「セミナー参加」と懸命なのだそうだ。

▶︎その子の人生は私には与り知らないことだから、勝手な私の気持ちとして書く。税金やお金の流れ、資本主義の仕組みやルールを学ぶことは大切だと思う。どんどんやって欲しいと思う。しかしそこには罠もある。職を得るために税理士などの「資格」を取ることに費やしたり、財務省や税務署などの公務員の「既得権益」「安定性」に浴しようというのならば、税務知識が単にお金を安定的に得るための一つの「道具」でしかなくなってしまう可能性がある。

▶︎一生懸命に職を得ようとすればするほど、安定を目指すあまり、既存の枠組みでしか世界を見ようとしなくなってしまう。それは若者にとって、大きな挑戦をさせる勇気を奪うことにはなりはしないか…。

▶︎安定した職業などなく、また世界はいつも不透明不確実だというのが現実だと思う。とはいえ今の日本社会は飢餓もなく、むしろ食品廃棄ロス大国というのが現実だ。つまり、死に直面することが表面上ない。絶対に「食える」はずなのだ。

▶︎そこで将来に向かって「食う」ために何かする必要は実はない。とにかく今現在お腹すかしている日本人は見かけ上ほとんどいない。

▶︎だから、就活に一生懸命になる学生やハローワークに出向く人も、実は本当に死に瀕してはいない。みんな必要だからと言ってスマホを片手にエントリーシートや企業にアクセスしている。本当に死にそうな人はまずスマホを売ってそれでコンビニでおにぎりを買うだろう。

▶︎みんな実は将来について「不安」を抱くことで生きているのかもしれない。最悪のことまさかのことを考えて、保険に入り、貯金をして、定職を持とうとする。しかしその元にあるのは「不安」だ。

▶︎みんな「不安」に怯えるのではなく、「不安」を理由に生きたいのではないか。だって実はどうやったって「食える」社会が日本なのだから、生命維持にこれ以上何もしなくていい。

▶︎しなくていいのなら、みんなは何をしているのか?人間は何にもしなくてもいい時代に、わざわざ「するもの」を探そうとする。「欲しいものが買いたい」「社会貢献がしたい」

▶︎要するに、日本社会は時間も経済的にも圧倒的に余裕があるから、色々やりたがる。不安になるのも不安になる余裕があるってことだ。

▶︎「不安に決まっているじゃないか。隣国の軍事圧力や安全保障の問題が大きいし、リーマンショックのような経済危機がきたらどうするんだ?」確かにそういうことが将来起こるかもしれない。

▶︎しかしその可能性はいつの時代もある。それが「不安」ならどうやっても「不安」は無くならない。しかし、「不安」はいつも将来だ。今生命の危機に瀕している人は「不安」ではなく、この危機をどう脱するかしか考えない。不安を感じる暇すらないはずだ。

▶︎「だからそういう生命の危機になってからでは遅いから、そういう「不安」に備えて今から何かしなければいけないんですよ!」と言われると、循環論法に陥ってしまう。

▶︎生命の危機の不安に備えて、不安になるんです!と言っているようなもの。

▶︎日記になっていないや。今朝はこれくらいにする。

【日記】2018年7月13日夜 「下手でも好き!」と言える人の熱量を感じろ!

▶︎高音質音楽ストリーミングサイトDeezerを自宅のオーディオで聴いている。

www.deezer.com

f:id:jsbgm1860:20180713174927j:plain

メインシステムにも接続しているが、これはダイニングテーブルの片隅に設置したオーディオ装置。

デジタルアンプにChromcastオーディオを光ケーブルでDeezerに接続。できる限りデジタルデータのまま再生してみた。

f:id:jsbgm1860:20180713175030j:plain

アンプの下はDVDプレーヤー。CDプレーヤーとして使っているので今回は関係なし。

▶︎ChromcastオーディオからDeezerを聴く。音質は確かにCD並みに良い。全ての音源が賄えるわけではないが、これでCDを買うことも少なくなるだろう。やはりアナログレコードだな!

▶︎数理的論理的な思考とは最近やたらと言われる。しかし内実単にビジネススキルとして言われることも多い。この本を読むと「生きること」そのものが「思考」であるということができるのかもしれない。

▶︎私としてはこっちから読んでみている。

文系のための数学教室 (講談社現代新書)

文系のための数学教室 (講談社現代新書)

 

 

私は元来学習(learning)全体が好きなのだが、一方で時間をかけたいことが多かった。ということもあり、高校数学で自分の学習速度が遅かったことが数学の認識を遅らせていると考えている。

▶︎数学ではなく計算レベルが下手なので、計算がしんどかった記憶がある。受験数学は筆算でしくじると正解できない。これは相当な苦痛だ。大人の今なら四則演算でも複雑なものはパソコンやスマホがやってくれる。私が必要なのは数学の概念と運用する知識と知恵だ。

▶︎話はそれるが、英語嫌い数学嫌いが老いも若きも多い。おそらく、それは学校なり親が無理やり勉強させた結果だと思う。落ち着いた空間と、シンプルな教科書、自由に発言できる 環境があれば勝手に学ぶ。

▶︎私は学ぶこと全体が好きだと言った。私は受験的に数学や英語は「下手くそ」だ。つまり「上手に」得点できない。だけど、それに何か問題ある?だ。

▶︎上記小島寛之さんの本の前書きに「数学でも『下手の横好き』ってあってもいいでしょ」と書いてある。つまり下手でも「好き」であることは構わない!というわけである。

▶︎小島さん自身は将棋は好きだがヘボだという。それでも対局は観るし、将棋を熱く語ることができるという。確かに。

▶︎いつから、「点数が取れるのが上手」=「好き」になってしまったのか。「下手だけど、大好き!」と思えるものことの方が本当は混じりっけのない情熱を傾けられると私は確信している。あ、結構いいこと書いてしまったので、ここの部分は有料として読んでください。

▶︎音楽についても、私は音楽が好きなのだが、一向に周囲の熱量が低い。みんなピアノを習ったり、指導経験もある人に出会ってきたけれど、なぜだかみんな自信なさげだ。▶︎おかしいぞ。私はピアノを習ったこともなく、楽譜は読むというより眺めて楽しむ方だ。長くやっていた合唱でも私は読譜能力は高くないので、結構みんなにバカにされた。でも、バカにした相手方をみると「オレは本当に音楽が好きなんだろうか」とか悩んでいる。おかしいだろ、いや可笑しい(滑稽)と表現した方がいい。

▶︎好き嫌いに理由はない。何が好きかくらい自分で決めろ!正直にそう思う。音楽に携わる人が概して音楽への熱量が低いのは、本気で自分が好きだ!と感じる前に目の前にはピアノがあったり、音楽環境が充実していたりすることがあるのかもしれない。

▶︎英才教育が有効なこともあろうが、物心つかない子供が全て一流の音楽家になるはずがない。子供が興味を持ってばやらせればいいのである。無理やりやっては逆効果なのは明らかなのだが、いまだに大人は是正せずピアノが弾ける音楽嫌いを量産し続ける。きっと某音楽教室マーケティング戦略だな。そうだそうだ。

▶︎好き嫌いの判断の前にすでに「ピアノが弾けている」というのは、弾けない私からすると宝物を持っているのと等しい。下手でも両手がバラバラで動くから。しかし、彼らは往往にして大きな宝を持っているとは思っていない。

▶︎ピアノを弾けるけど、音大に行ったけど、演奏家になるわけでもなく、音楽に触れているわけでもない。そんな人が実はゴロゴロいるということがわかってきた。家でまで音楽を聴きたくない、という人までいてどんだけのメンタリティなのか疑ってしまうことも多い。

▶︎私は数学も英語も音楽も文章も「下手」かもしれないが「好き」である。人間づきあいも「下手」かもしれないが「好き」である。それに何か文句あるか?

▶︎「下手の横好き」「好きこそものの上手なれ」どちらでもいい。とにかく「好き」なものに他人の尺度を入れるな!自分基準で良いのである。これは間違いない。

【日記】2018年7月13日朝 ご教示ありがとうございます

▶︎昨日、匿名か実名かということを日記であることも忘れて、長々と書いてしまった。

▶︎その内容にすぐリアクションをしてくださった方がいた。

inochi-to-kotoba.hatenablog.com

茶箪笥さん。(実名は公開されていますが、私のブログでは書かないでおきます)

この方、私がクラシック音楽好きの関わりでTwitterで知り合って、かなり長く繋がっているのだが、いつも非常に丹念にブログや読書会を作ってくださっている。

▶︎私も色々なことを茶箪笥さんから刺激をもらいながら活動しています。ありがとうございます。

【日記】2018年7月12日夜 ネットでの匿名について独り言

▶︎Facebookでは「友達」関係の人にマンツーマンで語るように、noteでは自分の大切なことを必要な人に知らせたいという気持ちで、そしてブログではそれ以外の日常を書く。

▶︎とにかく発信者として加速している。もともと文章や物事を考えて作ったり、行動することは好きな性分なので、自分でホームページを作り出してから気づけば20年近くなる。

▶︎20年前の日本のインターネットの発信者はハンドルネーム(HN)という匿名が一般的だったが、昨今のSNSの傾向も手伝って、実名で発信している人が増えている。

▶︎Facebookでは私も開設当初から実名で活動していたが、このブログもTwitterも基本的に実名にして発信している。

▶︎これにはもちろん意図がある。私がいつまでも匿名の発言をしてもリアルな私には結びつかない。どんなに素晴らしい話であっても、その人の人となりや背景を知るには実際に会うところまで行かないと本当のその人を感じられない。

▶︎アメリカではAmazonレビューをはじめ、実名が基本だという。日本とでは単純比較できないが、匿名発言は無責任に逃げることができる(犯罪や嫌がらせ行為はもはやアカウントで突き止められるが)が、よほどの発言内容が優れていない限り、その言葉の信用性は高くならないだろう。

▶︎私は凡人なので、秘匿性を持たせても何にも意味がない。攻撃されても失うものがほとんどない。物理的な財産も持っていないので、奪われるものもない。

▶︎もちろん、実名であっても他人を貶めることはしないししたくない。むしろ他人を応援したい。そのために実名にしたようなものだ。応援している人間が匿名より実態のある人間だとわかっている方が応援される側も気持ちが良いのではないか。

▶︎実名だとリアルにものを言ってくる人がどれだけいるだろうか、会いたいと言ってくれる人がどれだけいるだろうか、と思ってたら意外にいないものなんですよ。ぜひメッセージください。リアルにお話ししたい。

▶︎ウェブがこれだけ発達してくると、匿名アカウントでこそこそやっているのも結構アホらしくなってくる。結局リアルに人同士が会うことがコミュニケーションだと思う。そこまで人を繋げる役割をネットに担わせれれるのだから、積極的に活用しようというのが私の意図である。音楽も人もライブで繋がる。繋がるきっかけは無限に作れる。それはスマホやネットがあれば誰でもできることだ。

▶︎たまにFacebookでさえも匿名でやっている人を見かけるが、事情がある場合はともかく、知っている人ならわかるようなビミョーな匿名で出ていると、なんとも勿体無いなと思う。実名でない意図を勘ぐってしまうので、かえってマイナス信用になってしまう可能性もある。社会的に地位のある人が匿名を使っているのを見ると、よほど過去に恨みを買ったことがあって、暴露が怖いのだろうか、とか考えてしまう。

▶︎まあ他人の批判するのは本意じゃない。私の姿勢としてはそんなところです。

【日記】2018年7月12日朝

おはようございます。

▶︎音楽ストリーミングサービスDeezerを昨夜から試している。ギャップレスには対応していないので、トラックをまたがる連続した再生はできないが、音質が圧倒的に良い(CD並、flac)ので、ほぼこのサービスで決まりだろう。

▶︎昨夜イヤホンでDeezerを聴いていたら、騙し騙し聴いていたイヤホンが完全に壊れてしまった。評判の良いものをAmazonに注文。今朝がた確認すると、アマゾンプライムに申し込んでいたようで(あれプライムのボタンが大きいから寝ぼけてつい押したのだと思う)、まんまとAmazonにしてやられた感がある。

▶︎アマゾンプライムのおかげでイヤホンは今日届くようだが、とりあえず加入した分サービスは試しておいたほうが良さそうだ。