【日記】2018年9月22日 朝
▶︎先日から腰痛発生。整形外科に行ってレントゲン撮ったら、原因を説明された。骨がS字形していないと言う。しかしこれに対して治療法があるわけでもなし、痛み止めとマッサージリハビリの対処療法のみ。納得いかないなあ。
▶︎新卒で販売職で働いていた時にうつで病気休職した。後に復職後に配属されたのが飛び込み営業。これうつの人ができる仕事じゃないぞ、と思いつつやってみた。放置されて実績を上げないとひたすら責められ続けて、耐えきれず退職。業績上げても給料上がらない給与体系。これじゃパワハラ。こんな会社潰れた方がいいと思いつつ辞めたが、いまだに続いてますね。
内向型営業マンの売り方にはコツがある―ムリに自分を変えないほうがうまくいく!
- 作者: 渡瀬謙
- 出版社/メーカー: 大和出版
- 発売日: 2009/02/01
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 10回
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で、その後にこういう本に出会う。外向的で元気な人だけが営業成績を上げるものでもないと言うのを学んだ。いい本でした。
▶︎ウィリアム・アッカーマンのギターを朝から聴く。ウィンダムヒルレコードを立ち上げたのがアッカーマン。ウィンダムヒルは廃盤ばかりだが、ジョージウィンストンなど優れたアーティストを擁していた。
▶︎Blu-rayオーディオを一通り聴いていて、「いい音」って言うのは「いい音楽」を残す技術・思想だということに思い至った。そのことがブレていない録音は、古くても十分に「音楽的」である。決して贅沢なオーディオ装置がなくてもわかる。
このハンガリーカルテットの録音は1953年のモノラルであるが、今聴いても非常に音楽的だと思う。これを聴いてみると、録音する側の技術・思想が常に進歩しているわけではないと思ってしまう。過去に学ぶことは多くある。
【音楽視聴記】ベートーヴェン:交響曲第7番は。
日記だけでも面白くないので、時々自分の好きな音楽・音源を紹介してみようと思う。
私は20年前はホームページ(いわゆる個人ウェブサイト)、10年前くらいはCDやコンサートの音楽の感想ブログを書いていた。
そういうものも何年もずっと書いていると、どうも広がりを感じられなくなっていた。つまりは飽きてしまったのだ。どうもおっさんのオタク趣味がすぎる感じが自家中毒症的に嫌気がさしたのだ。
だからここ何年間か書くのをあえてやめていた。
書き続けてわかったこと
そもそも感動はそんなにたくさんやって来ない!
ブログに描こうとしているほど感動は頻発しない。ぶっちゃけ音楽に深い感動がもたらされるのは年に数回あればいい方だ。生のコンサートでもそんなにない。レコードやCD聴いただけで涙に咽ぶなんて、滅多にない。そんな中で良かったものばかり書くことは流石に無理がある。だんだんケチをつける記事が増えてきた。
自宅で音楽を聴くときの環境の悪さ。
最近引っ越したので随分改善されたが、以前の住む家はリビングルームに音楽を聴くシステムがあった。そこには生活音があふれていた。キッチンもあるので水の音、煮炊きの音、洗濯機もあるのでその音。
これらを聞きながら音楽を聴いていた。BGMなら別に構わないけど、一応文章として残そうとしているならある程度音楽に集中したい。しかし、それはかなり無理があった。ヘッドホンで音を遮断して聴くことも試みたが、そうすると家族とのコミュニケーションの時間が薄くなる。
仕方なく寝る前にiPodで布団の中で聴いていたら、妻に「音が漏れる」と言われる。
うーむ。
という訳で、こんな状況で音楽を集中して聴く環境を作れなかったので、いちいち感想を書くのもめんどくさくなってやめてしまった。
まあそんなことで、引っ越して見たものの、生活音を遮断してまで音楽に集中するつもりもないし、大感動を伝得たいとも全く感じなくなった。
これだけ音楽が好きで聴き続けたならば、日常の中の「気の抜けたサイダー」みたいな感想を書いてみようと思う。
そんなことで今日はバッハの無伴奏のことを書いてみようと思った。(バッハは全然気が抜けないだろ!というツッコミはなし)
思ったが、さっきまで音楽ファイルのファイル形式を変換するのに四苦八苦していて、なんか書く気が失せた。全くいきなり気が抜けている(笑)。
iTunesで音楽データを管理するため、XLDというソフトでFLACのファイルをAppleロスレスに変換していた。
しかしトラック1だけ、なぜかiTunesが認識しない。曲のトラック2から始まるのでキレまくっていたのだ。
あれこれ設定をいじっていたらやっと認識してやっと落ち着いた。
音楽データの管理はいまだに苦手だ。ネットでアートワーク(ジャケット写真)まで丁寧に貼り付けて管理されている人を見ると恐れ入る。あの丁寧な仕事は私には無理だ。
私も以前はまめにアートワークをネットから画像を探して貼り付けていたが、それよりも音楽の中身のデータが正確に入らない方が気になってしまって、アートワークどころでなくなった。
閑話休題。
せっかくバッハの深淵を語ろうと思っていたのに気を乱された(笑)。また次回以降にしよう。
誤解しないでおいてほしいが、私はクラシック音楽は好きだが、クラシック音楽だけが好きな訳ではない。あれこれ聴いていたらなぜかクラシック音楽を聴いている時間が多くなったに過ぎない。
むしろ私は世界中の音楽を聴いたり体験したいタイプなので、そろそろ西洋音楽から足を洗って、もっと広い世界を聴きたいと思っている。
しかし、西洋音楽はディープだし、今の世界の音楽のベースになっているのでなかなか抜け出せないw
バッハはまた今度にして、先ほど聴いていたベートーヴェンの交響曲第7番のことを書こう。
ベートーヴェンの音楽は好きですか?と聞かれて
「大好きです!」と私は答えられない。
正直、全部好きなわけがない。時と気分によっても好む音楽は異なるので、特定できない。
それはベートーヴェンに限らず、バッハもハイドンもモーツァルトもブラームスもシューマンもラヴェルも武満も同じだろう。(以前はマーラーは大好きです!と言えたが最近はそうでもない)
最近、私が聴いているベートーヴェンは弦楽四重奏曲やチェロソナタ、ピアノソナタ、など室内楽が増えている。
理由は聴いていると面白くなってしまって色々聴いてしまうから。ベートーヴェンは決して「運命」「第九」だけではない。
とはいえ、ベートーヴェンは意外と寡作家である。
メインの室内楽では弦楽四重奏曲は16曲、ヴァイオリンソナタは10曲、ピアノソナタは32曲。大編成の交響曲はたった9曲。
同じ古典派のハイドン(交響曲だけで104曲以上)やモーツァルト(交響曲だけで41曲以上)の多作振りに比べて、ベートーヴェンはかなり寡作である。
しかし、ベートーヴェンの作品の名作打率は高いと思う。特に交響曲は9曲しかないのに、全て異なる個性を持った名曲だと思う。
もちろん、人によって「やはり人類の遺産は第九だろ!」「田園だ!」「運命やろ!」「エロイカこそが革命的作品」と主張が違う。
なんでもいいよ。ちょうど9曲あるから野球のメンバーとして考えてもいい。打順に役割があるように、それぞれの曲の特質や音楽の狙いが異なるだけだ。
で、7番だが。
せっかくなので、カルロス・クライバーの東京公演の動画があるので聴いてみよう。第4楽章をご覧ください。踊っているだけの指揮みたい?オケの皆さんは相当必死です!場所は昭和女子大学人見記念講堂だと記憶しています。
この演奏は多くの人を熱狂させるものだと思います。
第7番の演奏はまずクライバーのものを挙げないといけません。
- アーティスト: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団& カルロス・クライバー
- 出版社/メーカー: Universal Music LLC
- 発売日: 2005/07/01
- メディア: MP3 ダウンロード
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ベートーヴェン:交響曲第7番 (Beethoven: Symphony No.7)
- アーティスト: ベートーヴェン,カルロス・クライバー,バイエルン国立管弦楽団
- 出版社/メーカー: Orfeo d'or
- 発売日: 2005/12/16
- メディア: CD
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定番過ぎますが、上の録音はウィーンフィルがオケの録音。端正なクライバー(ってどんなんだ?)が好きな人向け。
下はバイエルンのオケのライブ盤。クライバー死後に発売されたもので、本人的には行き過ぎだったのかもしれないので、世に出すことはNGにしていたのだと思う。(同じ日の4番の録音は20年以上前に世に出ている)
聴いている方としては、下のバイエルン盤の方がリミッターが完全に振り切れた演奏なので、ミスがあろうが、フライングがあろうが、断然面白いと思う。
クライバーは晩年ベートーヴェンの第4番と第7番ばかり振っていたようで、海賊版でグラン・カナリアのライブ録音までこの2曲が残っている。(それはもちろん紹介できません)
第7番はもちろんカルロス・クライバー(ちなみにお父さんのエーリッヒも指揮者だから、カルロスと言わないと誤解されることもある)だけではなく、他にもめちゃくちゃいい演奏があるので、色々紹介しておく。
- アーティスト: カラヤン(ヘルベルト・フォン),ベートーヴェン,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
- 発売日: 2015/05/20
- メディア: CD
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カラヤンは正規で5回は録音している中でもっともワイルドで若々しい演奏。
おそらくカルロスはカラヤンのこの演奏にインスパイアされていると思われる。(カルロスはカラヤンを崇拝していたという記録が残っている)
カラヤンは70年代に再録音しているが、かなりコントロールをかけている。レガートと響きが分厚く、この曲のリズムとエッジの刻みがスポイルされているという感じがするので、まず聴くならこの60年代のカラヤンを。(ちなみに80年代のカラヤンは逆にオケに勝手にやらせて暴走させている感じが良い)
- アーティスト: クレンペラー(オットー),ベートーヴェン,フィルハーモニア管弦楽団
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2010/09/22
- メディア: CD
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これはクライバー=カラヤンの真逆の演奏。超スローテンポにしか聞こえないかもしれないが、もっと音楽を根底から覆す、とんでもないエネルギーを感じさせる。この曲は実はイケイケな曲ではない、と思えてくる。
- アーティスト: チューリヒ・トーンハレ管弦楽団,ベートーヴェン,ジンマン(デイヴィッド)
- 出版社/メーカー: BMGメディアジャパン
- 発売日: 1998/06/24
- メディア: CD
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これは超軽量級の室内楽的な演奏。イケイケでも重厚でもなく、子気味よく軽やかにアンサンブルを楽しむ演奏。
こうなるとどの演奏が一番良いか?なんて話は意味がなくなる。
紹介したい録音はたくさんある。
アバド、ベームやバーンスタイン、ドラティ、ハイティンク、クーベリック、スクロヴァチェフスキ、セル、ラトルなどまだまだたくさんあり過ぎてなんともしようがない。
YouTubeや音楽ストリーミングでこの曲の演奏は無数に聴けるので、聴いてハマってほしい。
最後に小澤征爾がベルリンフィルを振ったライブ録音。後半楽章はどうやらベルリンフィルが暴走機関車になった記録のようである。(笑)
【日記】2018年9月13日 感性が敏感だと思う人は周囲の刺激を低くした方がいいと思う。
▶︎今日は自分の印象で書く。
▶︎HSP(Highly Sensitive Person)=人一倍敏感な人 5人に一人くらいの割合で存在している人なので、レアケースでも病気でもない。
本当にこういう人がいるかどうか? 私自身は完全にHSPだと思う。
▶︎気圧や天候、気温の変化に滅法弱い。他人の怒っている様子が言葉でなくてもわかる。他人の言動に過度に敏感である。映像や文章を読んでいるだけで、痛さや匂い、肌への感覚(刺すような感じ)を伴う。
▶︎これは単に弱い人ではなく、人の特性みたいなものだと思う。だから、これを弱い人間だからといって矯正しようとしたらおかしくなる。生きづらさに繋がる事も多い。
▶︎HSPのことは上の記事の紹介にとどめておく。
▶︎HSPの私が外的な刺激をできるだけなくす事に努めている。やっているのは以下3点
「新聞を購読しない」」
「テレビを観ない」
「他人の悪口を第三者に言わない」
である。
▶︎前二つはともかく、最後の「他人の悪口を第三者に言わない」は非常に重要だと感じている。悪いと思ったら相手にまず言うこと。そこで直接相手に言わなければ、第三者にそれを言う(悪口を言う)と言うことはしないように努めている。
これは、自分が同じことをされたら非常に嫌なばかりか、同じ行いをした私自身が自分自身を傷つけてしまうから。
これは「他人が自分の悪口を言っている!?」という怯えから少しでも解放するための方便である。
また、自分が他人の悪口を言わないなら、もし言われた時になぜ直接言ってくれないのか?と尋ねる余地を自分に与えておくという事にもなる。
▶︎現代社会は様々な刺激が多いので、日常生活でも気をつけないとすぐ疲労する。そういう世界を生き抜く私なりの知恵を書いてみた。参考になれば幸いである。
【日記】2018年9月13日 さらに音質が改善。
▶︎一昨日にオーディオ環境を改善する方法を調べていたら、Macを音声出力管理をさせると音質が改善するというネット情報を得た。
3年前の情報のため、完全に同じことはできない。しかし、「Audio MIDI設定」は使える。サンプルレートを最高192khzにして、再生すれば今まで聴いてきた音源が見違えるほどになります。印象を書くと「微細な音までよく聴こえるようになった」。
▶︎これをわかっていたら、あえてブルーレイオーディオに走らなくてもいいんじゃないか。元のCDの情報を限りなく出すことの方が重要だ。無知は怖いですな。
▶︎前から気づいていたけど、MacBook Proは2015年を最後に光デジタル出力を廃止しているのが残念。Mac miniをオーディオ専用に欲しくなった。
しかし
【日記】2018年9月7日 食う寝る遊ぶ
▶︎「食う寝る遊ぶ」ー日産の自動車セフィーロのテレビCMで井上陽水が「みなさーんお元気ですかぁ?」と語った後にこのキャッチフレーズが流れた。
▶︎もう30年も前。平成になる直前昭和63年だった。なぜそれを憶えているかというと、当時昭和天皇の体調がかなり悪く、「自粛ムード」という空気が流れていた時、そのCMは突如取りやめになったからである。いわゆる忖度が入ったと思うが、30年前も忖度が好きな日本である。
▶︎この年は忘れもしない。当時大学浪人生だった私は某生命保険会社が企画した打楽器と尺八のデュオリサイタルの招待状をもらっていた。打楽器が吉原すみれだったから、楽しみにしていたのだが。
▶︎一方的なハガキが来て、「天皇陛下のご病状を鑑み、演奏会は中止させていただきます」とのことだった。あまりに唐突だった。
▶︎なぜコンサートごときものを中止しないといけないのか不思議に思ったので今でもこのハガキはスクラップブックに保存してある。
▶︎とにかく自粛自粛の嵐で、年末年始にかけて門松は立てない、しめ縄も売れない、パチンコ屋のネオンは付いていない、寿司屋で酒を飲んでいると右翼団体と構成員とされる人が怒鳴り込んでくる(これは当時の中日新聞で読んだ記事)、と稀有な体験をした時期である。
▶︎ここで別に平成が終わるとか、忖度がどうとか、そんな話をしたいわけじゃない。もう、「食う寝る遊ぶ」これを人間が忘れないことが大切なのだ。これは不遜な言葉でも行為でもなく、人間らしさそのものであると思う。
▶︎AIが徐々に社会に浸透して来ている。シンギュラリティがきて突然変わるのではなく徐々であるというのが色々な本を読んでいての私の感触だ。
以下の本に詳しい。まあAIの本は今もこれからもどんどん出てくるだろうから、プログラミングを含めて勉強できることはしたいと思う。
誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性 (光文社新書)
- 作者: 田中潤,松本健太郎
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2018/02/15
- メディア: 新書
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▶︎「人工知能が浸透してもあらゆる仕事を奪ったとしても、あなたの人生までもが奪われるわけではありません。もっとあなたを表現してください。」(上掲書P.254)
▶︎様々な人が言っているが、これからますます組織や会社ではなく、個人・個性が重視される社会になるということだ。これは今までのお題目ではなく、実ベースでというところがミソ。
▶︎ブロックチェーンを利用した人工知能によって個人の信用情報が管理される〜こう書くと監視社会の到来か?ジョージ・オーウェルの「1984年」なのか?と不安に駆り立てられるかもしれない。もちろん、そうならないとは言えない。いやもうすでに信用情報監視は始まっている。
▶︎Googleで検索しているとだんだん自分が求めている情報がなぜか検索しやすくなっている。Amazonで買い物をすると、なんとなく興味がある商品が「あなたへのおすすめ」として表示される。YouTubeでもどんどん魅力的な動画が紹介される。
▶︎誰が見ているわけでもないのに。いや見てます。向こうのAIさんが。
▶︎ブロックチェーンの話をすると色々突っ込まれそうだが、たくさんのブロックが鎖のように繋がっているイメージで語る。今までは一箇所のサーバーに情報が一括管理されていたのが、各ブロックに分散管理される。これはセキュリティの上で非常に有効であるという。つまりブロックの一個だけが破損しても他のブロックの情報が壊れたブロックの情報を補完することができるという。
▶︎で、このブロックチェーンが個人信用の管理に使われるとどうなるか?それはネット上のみならず、個人の発言、生き方、財産、思考、消費動向までもがブロックチェーンによって守られる(管理される)ということなのだ。
▶︎何を言っているのかさっぱりわからない!お前は妄想が激しい!と言われそうだが、ブロックチェーンに関しては、仮想通貨以外は目に見えていないが、先ほど言ったGoogleやAmazonをはじめ、TwitterやFacebookは個々人の発言をデータとして蓄積しているはずである。これビジネスチャンスだから当たり前にしていることでしょう。顧客の買い物データを活用しないわけがない。彼らはバカじゃないから。
▶︎個人の発言や姿勢は問われる時代とは、欺瞞に満ちた生き方や人に危害を加えるような行為をしている人はそういう人として見なされる。どんなに匿名性を持ったとしても残念ながらもうデータとして我々の信用データとしてどこかに残されているはず。ブロックチェーンはセキュリティの高さゆえにそのデータを消せないという側面を持つ。どんな黒歴史もどこかに個人データとして残されているとしたら一体どうすれば良いのか。
▶︎ブロックチェーンが活用されるのは徐々にそして瞬く間に広まるような感覚で私はいる。インターネットがこの20年であっという間に社会の中枢インフラになってしまったよりも急速だと思っている。
▶︎だからこそ、私たちは組織や会社に所属する人間の前に、個人として考え・行動する人間として積極的に発信して行くほうが楽しいと思う。もちろん誰も過ちを犯さない人はいないし、過去は消せない。完璧な人もいない。だが現在の自分の姿勢や考え方に誠実に生きることはできるはずだ。過去は消せないなら、それを踏まえて、今私はどういうことを考えて行動しているか、を示すことが重要になるのではないか。それはいかにも人間らしい在り方だと私は思う。
▶︎私も今からどういう社会になって行くか、わからない。でも人間が人間らしく生きるにはどうしたらいいか?を考えればキーワードが見えてくる。
▶︎それは「食う寝る遊ぶ」である。人間がすることはこれである。労働は徐々に減り、人間は自由になる。そしたら遊ぶ。消費活動ではなく、遊ぶのである。
▶︎これ以上書くと有料記事になってしまうのでやめるけど、実際に労働は減るから!もし労働しないと生きていけないというのならAIや機械と同じかそれらに使われる労働を選ぶことになるかもしれない。それこそ「1984年」の世界である。
▶︎本当に人間らしい生き方をするのに答えはない。人生いろいろだから、みんな同じ生き方などしなくていい。まさに個人・個性を発信することをして遊べばいいのだ。