【日記】2018年9月25日 朝 クラシック音楽は鑑賞されるべきもの?
▶︎おはようございます。連休中私は仕事を離れて、3日間比較的内省的になりつつ過ごした。家庭内ではかなり冗談話もしたが、真剣な話もした。家族にこれだけ豊富な話題で語れる自分に少し驚き呆れている。
▶︎音楽の話。今年初め頃に私は「コンサートを創ろう!」と言い出して、そのために活動している。公共施設以外に良い会場がいくつも見つかっている。
▶︎最近特に考えているのが、音楽を「鑑賞する」という在り方である。特にクラシック音楽は「わかるかわからないもの」「正しく理解して聴くもの」「静かに大人しく受け入れ聴くもの」こういった態度が日本では特にはびこっている。
逆に言えば、クラシック音楽は「好き嫌い」では語れず、「正しくない聴き方」があり「聴いている途中にノって声を出すと、他の聴衆に迷惑」なのである。
▶︎これらの受容態度は他の音楽に比べて極めて異質である。それをずっとモヤモヤして考えていたが、以下の本を読んでああそういうことか、と合点がいった。
クラシック音楽は、なぜ“鑑賞”されるのか―近代日本と西洋芸術の受容
- 作者: 西島千尋
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2010/11/01
- メディア: 単行本
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日本の近代化と音楽教育のあり方が、現代日本特有の「音楽鑑賞」文化を形作っていることが見えてきた。
私はなぜ日本のクラシック音楽の団体やホールに多額の公的補助金をつぎ込んでいても公に違和を唱えることがほとんどないことに不思議に思っていたが、その構造的な意味がこの本を読んでいて浮かび上がってきた。
▶︎前から身近なプロオケや文化事業団体の会計報告を読んでいた。必ずぶち当たるのが、国や自治体からの多額な「助成金・補助金」である。なぜクラシック音楽や伝統文化は自治体からお金がもらえるのか?
ロックやヒップホップ、前衛文化にはほとんどそんな動きはない。(ロックやヒップホップが国家をあてにするようになったらカルチャーとしては終わっている、という言説を含めて考える必要がある。)
▶︎補助金の金額を実際に見てみる。某プロオケは毎年2億5千万円の助成金補助金、某文化事業団も年間2億5千万円近くのお金が補助金等として県や市、国から流れている。これは特殊なことではない。おそらく何十何百という団体へそれらのお金が流れている。
▶︎民間の企業の視点で考えるとわかるが、年間2億円以上のお金が補助金としてほぼ実質無条件に「もらえる」というのは常識的に考えられないことである。このお金は返済の義務もなければ、少しくらい赤字になっても厳しい追及はない。しかもこれだけ多額の資金注入されながら市民からはそれほど大きなバッシングも疑義もない。
▶︎その根底には「芸術」はお金では買えない文化として守られるべきものであり、理解し敬意を示すべきものだという考えがあると思う。文化を理解しない人、国は野蛮であり貧しい考えであるという意識は強い。しかもその文化は伝統文化であり西洋のクラシック音楽(合唱、吹奏楽などを含む)なのである。
▶︎ここには外部の高度な西洋文明を取り入れてそれを超えなければ負けてしまうという危機感が根底に流れている。開国して諸国の列強の脅威に晒されて富国強兵策に向かっていた日本のあり方に非常に重なると私は感じた。
▶︎だからなんなんだ?と思われる方もいると思うが、ここに現在のコンサートのあり方を決定づけているものがあると私は気づいたのである。
上記の紹介書籍はこのヒントが得られた点で素晴らしい示唆を含んでいる良本であると思う。
【日記】2018年9月23日 朝
▶︎漢方治療に取り組み始めて1年2ヶ月ほど経つ。健康保険は効かない民間治療の領域に入ってしまうので、誰もに進めることはできないが、これは西洋医学の薬剤投与とは根本的には違う。個人差もあるが、一般的な漢方のイメージと体感とでは随分異なる結果が出ている。
▶︎漢方はマイルドではなく、激しく効果や変化が出る。
▶︎漢方処方は同じ処方は2度とされない。その患者のその時の状態を見て処方される。西洋医学の「いつもの薬を処方しておきます」はありえない。
▶︎漢方は部分治療ではなく統合治療である。医学的発想は東洋医学である。
▶︎民間治療はとかく怪しげな業者がはびこるので注意は必要だが、一般的な西洋医学の医師でもかなりいい加減な診察が横行している事実も看過してはならないと思う。健康保険の負担割合によって患者は全額負担していないからシビアに見ていないかも知れない。よくよく考えて診察、薬剤処方の全額を計算すると、かなりのぼったくりだと感じることも多い。
▶︎漢方治療礼賛ではない。私のように20年治療に取り組んできたのに治癒の方向に向かわなかったのは西洋医学の敗北と私は判断している。このままでは自分の病状はなんら変わらない。
【日記】2018年9月22日 朝
▶︎先日から腰痛発生。整形外科に行ってレントゲン撮ったら、原因を説明された。骨がS字形していないと言う。しかしこれに対して治療法があるわけでもなし、痛み止めとマッサージリハビリの対処療法のみ。納得いかないなあ。
▶︎新卒で販売職で働いていた時にうつで病気休職した。後に復職後に配属されたのが飛び込み営業。これうつの人ができる仕事じゃないぞ、と思いつつやってみた。放置されて実績を上げないとひたすら責められ続けて、耐えきれず退職。業績上げても給料上がらない給与体系。これじゃパワハラ。こんな会社潰れた方がいいと思いつつ辞めたが、いまだに続いてますね。
内向型営業マンの売り方にはコツがある―ムリに自分を変えないほうがうまくいく!
- 作者: 渡瀬謙
- 出版社/メーカー: 大和出版
- 発売日: 2009/02/01
- メディア: 単行本
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で、その後にこういう本に出会う。外向的で元気な人だけが営業成績を上げるものでもないと言うのを学んだ。いい本でした。
▶︎ウィリアム・アッカーマンのギターを朝から聴く。ウィンダムヒルレコードを立ち上げたのがアッカーマン。ウィンダムヒルは廃盤ばかりだが、ジョージウィンストンなど優れたアーティストを擁していた。
▶︎Blu-rayオーディオを一通り聴いていて、「いい音」って言うのは「いい音楽」を残す技術・思想だということに思い至った。そのことがブレていない録音は、古くても十分に「音楽的」である。決して贅沢なオーディオ装置がなくてもわかる。
このハンガリーカルテットの録音は1953年のモノラルであるが、今聴いても非常に音楽的だと思う。これを聴いてみると、録音する側の技術・思想が常に進歩しているわけではないと思ってしまう。過去に学ぶことは多くある。
【音楽視聴記】ベートーヴェン:交響曲第7番は。
日記だけでも面白くないので、時々自分の好きな音楽・音源を紹介してみようと思う。
私は20年前はホームページ(いわゆる個人ウェブサイト)、10年前くらいはCDやコンサートの音楽の感想ブログを書いていた。
そういうものも何年もずっと書いていると、どうも広がりを感じられなくなっていた。つまりは飽きてしまったのだ。どうもおっさんのオタク趣味がすぎる感じが自家中毒症的に嫌気がさしたのだ。
だからここ何年間か書くのをあえてやめていた。
書き続けてわかったこと
そもそも感動はそんなにたくさんやって来ない!
ブログに描こうとしているほど感動は頻発しない。ぶっちゃけ音楽に深い感動がもたらされるのは年に数回あればいい方だ。生のコンサートでもそんなにない。レコードやCD聴いただけで涙に咽ぶなんて、滅多にない。そんな中で良かったものばかり書くことは流石に無理がある。だんだんケチをつける記事が増えてきた。
自宅で音楽を聴くときの環境の悪さ。
最近引っ越したので随分改善されたが、以前の住む家はリビングルームに音楽を聴くシステムがあった。そこには生活音があふれていた。キッチンもあるので水の音、煮炊きの音、洗濯機もあるのでその音。
これらを聞きながら音楽を聴いていた。BGMなら別に構わないけど、一応文章として残そうとしているならある程度音楽に集中したい。しかし、それはかなり無理があった。ヘッドホンで音を遮断して聴くことも試みたが、そうすると家族とのコミュニケーションの時間が薄くなる。
仕方なく寝る前にiPodで布団の中で聴いていたら、妻に「音が漏れる」と言われる。
うーむ。
という訳で、こんな状況で音楽を集中して聴く環境を作れなかったので、いちいち感想を書くのもめんどくさくなってやめてしまった。
まあそんなことで、引っ越して見たものの、生活音を遮断してまで音楽に集中するつもりもないし、大感動を伝得たいとも全く感じなくなった。
これだけ音楽が好きで聴き続けたならば、日常の中の「気の抜けたサイダー」みたいな感想を書いてみようと思う。
そんなことで今日はバッハの無伴奏のことを書いてみようと思った。(バッハは全然気が抜けないだろ!というツッコミはなし)
思ったが、さっきまで音楽ファイルのファイル形式を変換するのに四苦八苦していて、なんか書く気が失せた。全くいきなり気が抜けている(笑)。
iTunesで音楽データを管理するため、XLDというソフトでFLACのファイルをAppleロスレスに変換していた。
しかしトラック1だけ、なぜかiTunesが認識しない。曲のトラック2から始まるのでキレまくっていたのだ。
あれこれ設定をいじっていたらやっと認識してやっと落ち着いた。
音楽データの管理はいまだに苦手だ。ネットでアートワーク(ジャケット写真)まで丁寧に貼り付けて管理されている人を見ると恐れ入る。あの丁寧な仕事は私には無理だ。
私も以前はまめにアートワークをネットから画像を探して貼り付けていたが、それよりも音楽の中身のデータが正確に入らない方が気になってしまって、アートワークどころでなくなった。
閑話休題。
せっかくバッハの深淵を語ろうと思っていたのに気を乱された(笑)。また次回以降にしよう。
誤解しないでおいてほしいが、私はクラシック音楽は好きだが、クラシック音楽だけが好きな訳ではない。あれこれ聴いていたらなぜかクラシック音楽を聴いている時間が多くなったに過ぎない。
むしろ私は世界中の音楽を聴いたり体験したいタイプなので、そろそろ西洋音楽から足を洗って、もっと広い世界を聴きたいと思っている。
しかし、西洋音楽はディープだし、今の世界の音楽のベースになっているのでなかなか抜け出せないw
バッハはまた今度にして、先ほど聴いていたベートーヴェンの交響曲第7番のことを書こう。
ベートーヴェンの音楽は好きですか?と聞かれて
「大好きです!」と私は答えられない。
正直、全部好きなわけがない。時と気分によっても好む音楽は異なるので、特定できない。
それはベートーヴェンに限らず、バッハもハイドンもモーツァルトもブラームスもシューマンもラヴェルも武満も同じだろう。(以前はマーラーは大好きです!と言えたが最近はそうでもない)
最近、私が聴いているベートーヴェンは弦楽四重奏曲やチェロソナタ、ピアノソナタ、など室内楽が増えている。
理由は聴いていると面白くなってしまって色々聴いてしまうから。ベートーヴェンは決して「運命」「第九」だけではない。
とはいえ、ベートーヴェンは意外と寡作家である。
メインの室内楽では弦楽四重奏曲は16曲、ヴァイオリンソナタは10曲、ピアノソナタは32曲。大編成の交響曲はたった9曲。
同じ古典派のハイドン(交響曲だけで104曲以上)やモーツァルト(交響曲だけで41曲以上)の多作振りに比べて、ベートーヴェンはかなり寡作である。
しかし、ベートーヴェンの作品の名作打率は高いと思う。特に交響曲は9曲しかないのに、全て異なる個性を持った名曲だと思う。
もちろん、人によって「やはり人類の遺産は第九だろ!」「田園だ!」「運命やろ!」「エロイカこそが革命的作品」と主張が違う。
なんでもいいよ。ちょうど9曲あるから野球のメンバーとして考えてもいい。打順に役割があるように、それぞれの曲の特質や音楽の狙いが異なるだけだ。
で、7番だが。
せっかくなので、カルロス・クライバーの東京公演の動画があるので聴いてみよう。第4楽章をご覧ください。踊っているだけの指揮みたい?オケの皆さんは相当必死です!場所は昭和女子大学人見記念講堂だと記憶しています。
この演奏は多くの人を熱狂させるものだと思います。
第7番の演奏はまずクライバーのものを挙げないといけません。
- アーティスト: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団& カルロス・クライバー
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ベートーヴェン:交響曲第7番 (Beethoven: Symphony No.7)
- アーティスト: ベートーヴェン,カルロス・クライバー,バイエルン国立管弦楽団
- 出版社/メーカー: Orfeo d'or
- 発売日: 2005/12/16
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定番過ぎますが、上の録音はウィーンフィルがオケの録音。端正なクライバー(ってどんなんだ?)が好きな人向け。
下はバイエルンのオケのライブ盤。クライバー死後に発売されたもので、本人的には行き過ぎだったのかもしれないので、世に出すことはNGにしていたのだと思う。(同じ日の4番の録音は20年以上前に世に出ている)
聴いている方としては、下のバイエルン盤の方がリミッターが完全に振り切れた演奏なので、ミスがあろうが、フライングがあろうが、断然面白いと思う。
クライバーは晩年ベートーヴェンの第4番と第7番ばかり振っていたようで、海賊版でグラン・カナリアのライブ録音までこの2曲が残っている。(それはもちろん紹介できません)
第7番はもちろんカルロス・クライバー(ちなみにお父さんのエーリッヒも指揮者だから、カルロスと言わないと誤解されることもある)だけではなく、他にもめちゃくちゃいい演奏があるので、色々紹介しておく。
- アーティスト: カラヤン(ヘルベルト・フォン),ベートーヴェン,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
- 発売日: 2015/05/20
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カラヤンは正規で5回は録音している中でもっともワイルドで若々しい演奏。
おそらくカルロスはカラヤンのこの演奏にインスパイアされていると思われる。(カルロスはカラヤンを崇拝していたという記録が残っている)
カラヤンは70年代に再録音しているが、かなりコントロールをかけている。レガートと響きが分厚く、この曲のリズムとエッジの刻みがスポイルされているという感じがするので、まず聴くならこの60年代のカラヤンを。(ちなみに80年代のカラヤンは逆にオケに勝手にやらせて暴走させている感じが良い)
- アーティスト: クレンペラー(オットー),ベートーヴェン,フィルハーモニア管弦楽団
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これはクライバー=カラヤンの真逆の演奏。超スローテンポにしか聞こえないかもしれないが、もっと音楽を根底から覆す、とんでもないエネルギーを感じさせる。この曲は実はイケイケな曲ではない、と思えてくる。
- アーティスト: チューリヒ・トーンハレ管弦楽団,ベートーヴェン,ジンマン(デイヴィッド)
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これは超軽量級の室内楽的な演奏。イケイケでも重厚でもなく、子気味よく軽やかにアンサンブルを楽しむ演奏。
こうなるとどの演奏が一番良いか?なんて話は意味がなくなる。
紹介したい録音はたくさんある。
アバド、ベームやバーンスタイン、ドラティ、ハイティンク、クーベリック、スクロヴァチェフスキ、セル、ラトルなどまだまだたくさんあり過ぎてなんともしようがない。
YouTubeや音楽ストリーミングでこの曲の演奏は無数に聴けるので、聴いてハマってほしい。
最後に小澤征爾がベルリンフィルを振ったライブ録音。後半楽章はどうやらベルリンフィルが暴走機関車になった記録のようである。(笑)
【日記】2018年9月13日 感性が敏感だと思う人は周囲の刺激を低くした方がいいと思う。
▶︎今日は自分の印象で書く。
▶︎HSP(Highly Sensitive Person)=人一倍敏感な人 5人に一人くらいの割合で存在している人なので、レアケースでも病気でもない。
本当にこういう人がいるかどうか? 私自身は完全にHSPだと思う。
▶︎気圧や天候、気温の変化に滅法弱い。他人の怒っている様子が言葉でなくてもわかる。他人の言動に過度に敏感である。映像や文章を読んでいるだけで、痛さや匂い、肌への感覚(刺すような感じ)を伴う。
▶︎これは単に弱い人ではなく、人の特性みたいなものだと思う。だから、これを弱い人間だからといって矯正しようとしたらおかしくなる。生きづらさに繋がる事も多い。
▶︎HSPのことは上の記事の紹介にとどめておく。
▶︎HSPの私が外的な刺激をできるだけなくす事に努めている。やっているのは以下3点
「新聞を購読しない」」
「テレビを観ない」
「他人の悪口を第三者に言わない」
である。
▶︎前二つはともかく、最後の「他人の悪口を第三者に言わない」は非常に重要だと感じている。悪いと思ったら相手にまず言うこと。そこで直接相手に言わなければ、第三者にそれを言う(悪口を言う)と言うことはしないように努めている。
これは、自分が同じことをされたら非常に嫌なばかりか、同じ行いをした私自身が自分自身を傷つけてしまうから。
これは「他人が自分の悪口を言っている!?」という怯えから少しでも解放するための方便である。
また、自分が他人の悪口を言わないなら、もし言われた時になぜ直接言ってくれないのか?と尋ねる余地を自分に与えておくという事にもなる。
▶︎現代社会は様々な刺激が多いので、日常生活でも気をつけないとすぐ疲労する。そういう世界を生き抜く私なりの知恵を書いてみた。参考になれば幸いである。