音楽と読書と社会 日記編

「音楽と読書と社会」イトウの活動など日記

【日記】2019年3月18日 

現時点ですでに重すぎたので、Corei7のMac mini2014late返品した。で2018モデルにした。最初からこうすりゃよかったな。

 

娘と東京にラップバトルを観に行ってきた。これは面白かった。年齢ではなくて圧倒的に彼らは若い。中高齢者は心した方が良い。

これからどうすればいいかわからない。

それはどうでもいい。

今を生きる。今が不満なら今やりたいことをやる。

それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【日記】2019年3月14日 先週からYouTubeライブ配信はじめた。

もう少し体調がよくなればと思う。

漢方治療もしているので、今日はその処方をかえてもらった。

薬剤師さん曰く、この時期に体調が悪くなるのは珍しいとのこと。

YouTubeライブ配信をはじめました。

とりあえずChromeBookでやったら音飛びが結構出た。iPadでやってみたらこっちのほうが安定した。

Windowsでも試したがこっちはカメラ設定に手間取った割りにスペックが低い為かイマイチ。

Mac mini2014lateモデルの整備済品を購入した。 昨年出たMac mini2018モデルは速いようだけど、整備済みの旧モデルを選択。

中古のWindowsPCを使っていたが、Macの方がやはり使いやすいと思う。   

このスペックじゃないけど。 純正キーボードは高価な割りに今ひとつ打ちにくいのでバッファローの有線キーボード。

このキーボードはさほど高くないが、打ちやすい。

iBUFFALO フルキーボード USB接続 パンタグラフ Macモデル ホワイト BSKBM01WH

iBUFFALO フルキーボード USB接続 パンタグラフ Macモデル ホワイト BSKBM01WH

マウスも前に買った無線マウス

何が良いかって言うと、23インチディスプレイ画面で観られること。老眼が気になるとこういう部分は大きい。

ノートパソコンだとこうは行かない。モバイルはiPhoneiPadで良いし。MacBook Proは文字が小さいしキーボードが私には少し打ちづらかった。

気ままにがんばろうっと。

【日記】希望を忘れず、未来を創る。

1月末から2ヶ月近く、寝込んでいる。 体調が悪いどころではない。 身体の痛み、胃腸の不調、精神的抑圧、経済的抑圧、人格攻撃。

複雑に絡み合っていて紐を解くことが困難極まりない。

この状態が少なくとも20年続いている。 あまり自覚していなかったが、そもそもが生まれたときからこの苦しみが始まっていた。 そのことをやっと最近になって気がついた。

苦しみはその渦中にいるときは気づきにくい。

基本的にこの社会の構造はハラスメントだ。 そのことに気づかせてくれたのは本條晴一郎氏、安冨歩氏の共著書「ハラスメントは連鎖する」

ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書)

ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書)

とても精緻にハラスメントの構造を明らかにしている。 この本を読んで、自分が他人からされてきたことの99%以上がハラスメントだったということに気づき驚いた。

気づくと恐ろしいもので、善意や好意を装ったハラスメントが当然に行われているのがこの社会だとあらゆるところで実感する毎日だ。

そもそもがこんな暴力的な構造の社会で何もなく生きていける方が異常だと思うくらい。

家庭、学校、職場、果ては趣味のサークル活動ですらハラスメント構造がある。 そしてほとんどの人がそのシステムに取り込まれている。 そのシステムの中でハラスメントされている人がさらにハラスメントを連鎖させている。

このままハラスメントシステムに取り込まれたままでは誰も幸せになれない。 社会が暴走している現状を見ると私はそう感じる。

詳しくは上の本を読んでほしい。少し難しい部分もあるが、得られることはそれ以上だと私は確信している。

以下、私が考え行動すること。

ハラスメントをして人を傷つけていると知ったならば、その人に謝ろう。そしてもうしないと心に決めよう。 傷つけられたら、相手に傷つけられたその事実を言って嫌だと怒ろう。

そして、今、自分が感じているものを大切にして、望む未来を創ろう。

世の中は想像以上に残酷である。知れば知るほど絶望を深める。 しかし絶望があっても、いや絶望があるからこそ、私は今から理想の未来を創ることができる。そう信じる。

どんなに過去が残酷であっても現在から未来はわからない。 ならば自分が望む自分、望む世界をはっきり言葉で言おう。文章で書こう。

「夜と霧」の著者、V.E.フランクルの以下の本を読み直したい。

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

過酷な人生を送っている自分自身を含めたすべての人にエールを。

【日記】2019年1月23日 音源探求について〜「好き」が最強〜


先日から作りつづけている純セレブスピーカーで音楽を聴いている。本当に気持ちのよい音が出る。

音楽がますます好きになって困るよ(笑)。

はんだ付けして箱に入れれば、すぐ完成してしまう高音質もの。

 

純セレブスピーカーは以下を参考に。

jun-serebu.net

 

昨年の引っ越し後、随分オーディオの試行錯誤をしてきた。

15年間使ってきたバックロードホーンスピーカーが響きすぎなのか、全然いい音がしなくなったのでついに処分した。

おそらく住宅が木造から鉄骨になり、音の響きが変わってしまったのだろうと思う。

とにかく音楽が思ったように聴けないとイラつく性分なので、たちが悪い。

 

なんとか活用を試みたがサイズの大きさもあり、純セレブスピーカーとお役目交代と相成った。

 

今日はひたすらCDのリッピング作業と鑑賞。

スピーカーが変わると以前からの愛聴音源を聴き直す(オーディオあるあるだ)ことになる。

これが無意味に楽しい。ここ数日間こればかり。

純セレブスピーカーは素晴らしすぎてヤバイ。

 

思えば中高生時代から音楽とともにオーディオに興味を持ち始め、今に至る。

 

今も昔も金はないので、オーディオにはさほどお金をかけられない。しかし音楽はたくさん聴きたいので今でも毎日朝から寝る前まで音楽を聴いている。

外出もするし歌うし読書も会話もするので、意外と時間はない。時間はないくせに膨大な音源を聴き続けてたい欲求まみれだ。

これは自慢にもならないが、誇るべきことである。

結果として音楽と読書から世の中を見ることができるようになっているということ。

 

一方で周囲との差にも直面する。

 

もう20年前のことだから書いてもいいか。

当時合唱団にいたときのこと。

モーツァルトのミサ曲ハ短調(いわゆる大ミサという曲だ)を演奏するためにプロオーケストラから、当時いた合唱団に出演オファーが来た。

 

私はたその曲をしっかり聴いたことがなかったのでCDをタワーレコードにすぐに買いに行った。(まだYouTubeも今ほどでないし、ネット通販も盛んでない頃だ)

 

最初に買ったのはフランツ・ウェルザーメスト指揮のCDだった。そこそこ良い演奏だと思ったが、そこはわたしのこと。

1つの演奏では納得しないので、数枚追加で買った。マリナーの新旧、バーンスタインカラヤン、ヘレヴェッへ、パロット、ノイマンなど‥結局かなり聴き込んでしまった。

 

なにも考えずに、練習時に団の友人と情報交換しようと思ってCDを数枚持っていった。

 

そこで

「じゅん、それだけ持っているなら1枚貸して」

「おすすめのを貸してください」

こんな人が数人出てきた。

まあ貸してもいいけど。減るもんじゃないし、いいけど。

 

しかし、解せない…。(↑不良のカツアゲのような文言だし)

 

彼らは一向に自分の身銭は切ろうとしない。彼らは自分から探して買おうとしない。

どういうわけだか、彼らはすべて名だたる大企業の会社員たちばかりだ。おそらく収入はわたしの倍くらいあったのではないか(今なら10倍くらいになっているだろう)。

 

だからお金がないのではない。

単に「音楽を積極的に取り込もうという気がない」だけなのだ。今でいうところの情報弱者か。

 

人から手軽に借りたり、情報を得て済まそうとしている。

更にわたしから言わせれば、彼らは本当の音楽好きではない。

 

別の面から見れば、好きでもないことを無自覚に好きだと思いこんでいるので気の毒だと言えるかもしれない。

しかし他人にフリーライドしようとするメンタリティが私は気に入らない。私は可能な限りギブするのは厭わないが、相手がフリーライドのクレクレだと正直げんなりだ。

 

そういう人は基本的に無自覚に思考が受け身なので、音楽を積極的に聴かない。だからどんなにこちらがいい演奏を紹介してもほぼ定着しない。

この虚しい状況はどうやら今も変わらず進行中のようである。

 

だから、最近はそういう人たちと話しているだけでもそこの浅さが見えてしまう。単に演奏が上手い、歌が上手い、楽譜が読める、というスキルの問題ではない。

 

感じるのは「純粋に音楽が好き」というシンプルなことだけである。

 

好きと感じることは人それぞれでいい。好きなことをその人なりにただ続ければいい。そういう好きなことに正直に向き合っている人は、話も姿も豊かである。これは本当にそう感じる。

 

好きなことをやっている人とそうでない人。この差は時間とともに歴然としてくる。

 

人の人生はいろいろだから、私は強制はしない。ススメである。

 

好きなことを自分の軸でやり、そこから世界を見ることをおすすめする。

私も振り返ると音楽と読書を好きでやってきただけ。なんの強制もされていない。

強制されてやったことは基本的に定着しないし忘れる。当たり前だ。

 

(ただし、好きを仕事に、というのは私は懐疑的だ。仕事自体にそれほど重要な意味を感じないからである。好きなことをやるために、仕方なく仕事をやるというならまあ共感はするが。)

 

閑話休題

私は音楽がただ好きなだけだ。これは一点の曇りもない。

一日音楽に浸っていると疲れるかもしれないが、嫌ではない。

苦役でも勉強でもなく、単に楽しい。

 

好きなことはやる。嫌なことは基本的にしない。

 

これだけである。

 

好きなことは正直にどこかで表現できるところがあるといいと思う。

 

 

誰とも比べられない「好き」が最強であると思う。

【音楽】ああ素晴らしき、純セレブスピーカーの世界!!

先々週1月10日思い立って東京大学東洋文化研究所に行ってきました。

ある展覧会があったのです。

jun-serebu.net

これなんですか?

純セレブ文明ってなに?

東京大学でなんかごっつい怪しいことやっていないか?と思われること間違いない。

昨年5月くらいに音楽家片岡祐介さんと東京大学教授の安冨歩さんの発見した「純セレブスピーカー」というもの。

 

引用が長いですが。

純セレブ文明の夜明け 
〜道(タオ)の思想に基づく非線形スピーカーのよろこび〜

セレブとは、英語では「有名人」、日本語では「金持ち」というような意味だが、いわゆるセレブは、有名だとか、地位が高いとか、金があるといった根拠を必要とする。「純セレブ」とは、そのような根拠を必要としない、純粋のセレブのことである。純セレブは、自分がセレブだと悟ることによってのみ存立する、究極のセレブである。

今回、展示する「純セレブスピーカー」は、この純セレブ思想を表現する具体物である。スピーカーは、1876年に開発されたベルの電話機以来、140年以上の歴史があり、もは完全に成熟した産業だと考えられてきた。

しかし、2018年5月に、片岡祐介(音楽家)と安冨歩東京大学東洋文化研究所教授)とが、スピーカーユニットをダンボール箱に詰めて、中に紙くずを入れる、という極めて簡単な手法で、驚くほど良い音のするスピーカーができることをを明らかにし、これを「純セレブスピーカー」と名付けた。このスピーカーは、スピーカーユニットが作動するときに、高い非線形性を帯びた運動をすると考え、それを固定して制御するのではなく、ゆるく支えて自由にのびのびと運動させる、という、独自の考え方に基づいている。この発想は、安冨の「老子」研究とつよく響き合っている。それゆえ、純セレブスピーカーは、道(タオ)の思想に基づく、非線形スピーカーだ、と捉えることができる。

純セレブスピーカーを聞き、あるいは自ら作る体験は、固定し抑制して制御する、という発想から離れ、ゆるくささえて共に運動する、という老子的な発想を、よろこびをもって体得する有効な手立てである。そればかりか、西欧に起源を持つ近代文明の桎梏を乗り越える、新たな「純セレブ文明」の夜明けを告げる産物だと我々は考えている。 

 

 

東京大学 展覧会「純セレブ文明の夜明け 〜道(タオ)の思想に基づく非線形スピーカーのよろこび〜」 | 純セレブスピーカー 純セレブ堂 より

もうなんのことやら…かもしれない。

これだけ文章で能書きたれても「純セレブ」という思想はなんなのかわからないと思う。

 だから、そこは音楽でわかるというのである。

 

純セレブスピーカー 安冨歩 片岡祐介

【純セレブスピーカーとはなにか?】 

片岡 祐介

「純セレブスピーカー」とは、大雑把に言えば、ダンボール箱にスピーカーユニットを差し込んだだけの簡素なスピーカーのことです。箱内にクシャクシャにした紙類を入れて、空洞の形を複雑化し、余分な箱鳴りを抑えているのも特徴です。

使用するスピーカーユニットや箱の種類よって、音にさまざまな個性が出ますが、けっこうテキトーに作っても、驚くほど音楽的な音が出るのが特徴です。運が良ければ(あるい製作者の感覚が良ければ)数百万もする高級スピーカーの音を軽く超えてしまったりします。なかなか信じてもらえないんですが、実際に作られたり、現物を聴いてみたことのある多くの方々に、驚きをもって納得していただいています。

わたし片岡祐介は、十歳頃から、既成の楽器だけではなく、日用品や手作り楽器を日常習慣として演奏してきました。また、子どもたちや障害児者と共演する即興音楽の活動を二十年以上続けています。音楽が「文化」として定着する前の根源的なものを探り続けてきたともいえます。「ロック系が好き」とか「この歌、知ってる歌だ」という記号化された音楽のありようではなく、乳児もおもわず踊り出すような音は、どんな「出方」をする音かを、僕自身(まだ途上ではありますが)かなり身体化していると思っています。

そんな片岡の経験と、安冨歩さんの膨大な研究(おもに複雑系科学や東洋思想)が出会った結実のひとつが「純セレブスピーカー」といえるかもしれません。「音波を発生する機器」ではなく、音楽そのもののような、生き物としてのスピーカーを実現させました。そしてまだまだ探求中です。

「重さ」よりも「軽さ」、「安定」よりも「不安定」、「固定」よりも「動き」…

 

 

最後の