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イトウの音と本の綴織

【日記】【病気】がんばりの向こうがわ

THE LADY MUSICK  EMMA KIRKBY: ANTHONY ROOLEY

いまの頑張りがこれからの症状改善に進むので、頑張りましょう

これは漢方薬剤師さんより言われた言葉である。

この薬剤師さんから、未だかつて頑張れ、と言われたことがなかったのでこれには特別な意味があると思っている。

今日はそれについて書く。

 病気を発症してから20年

医者、薬剤師など身体を診る人は患者に余力があるかどうかということをちゃんとわかる人だ思う。

2年余り漢方治療をしてきた。

この薬剤師さんが施した治療は納得することばかりである。

病気を発症してもう20年近く経つ。

医師からは改善の見込みがない、打つ手なし、とりあえず悪化しないための投薬しかないと言われていた。

しかし私はこのままでは自分の命が保たないと危機感を抱いていた。

そこに私の病状を見かねた従姉妹が紹介してくれたのがいまの漢方治療だった。 最初は漢方なんて大して効かないだろう、そうたかを括っていた。

しかしながら、実際処方されてみると、とんでもない。この漢方治療は想像していた以上の厳しいものだった。

 痛みと発熱は24時間

漢方治療を始めてものの2週間ほどで変化が現れた。

頭痛関節痛など身体中の痛みや発熱、口内の腫れ眼球の膨張、粘膜からの出血、これらが24時間絶え間なく襲いだした。そして伴う激しい体重減。

時には噴出する苛立ちや怒りがコントロールできるギリギリに達することもあった。

しかし何故かその痛みになんとか自分は対応できてきた。なぜだろう。

それを薬剤師さんに尋ねてみた。

身体に余力があるときに積極的に処方を進めているのですよ。余裕がなければ痛みを出す処方は取りません。痛みも耐えられないほどならば、そこで無理はさせません。

漢方処方は身体の様子、気温湿度、暦、その時の環境の流れなど毎回その時の状況に応じて全て処方を変えるという。

 漢方は非科学的オカルトというより「生活の知恵」

漢方は東洋医学の考え方に基づく。そこから考えれば、人間は常に動き続ける生命なのでいつも同じやり方は無意味だという考え方であるという。

病気は「気」の滞りから起きるという。

私はそれは非科学的なオカルトではないか、と当初思っていた。 見えないからである。

しかし今は納得できる。信じるというレベルではなく、納得である。

経験から考えてみれば、漢方は病気に対処する生活の知恵なのだと思う。

自分が生きているのはおそらくこの気というものが身体を流れているからであり、これが滞れば苦しくなり病になる。   これが東洋医学的な考えのようである。

気という言葉では難しければ、呼吸とか血液の流れと思ってもいいかもしれない。 いずれも滞れば死に至る大切な流れである。

以前の私はいわゆる、「気を流す」ことができていなかった。

感情を抑え、緊張していたのだ。身体が固まっていたのだ。

今は漢方治療を通してその身体の流れを実感できるようになった。また気の流れていない時がどんな感じなのか、実感できている。難しいことではなく生活感覚みたいなものだと思う。

しかし、今まで滞っていたものは身体の中にしっかりとあり、それが熱や痛み、嫌な記憶として噴出してきていると薬剤師さんは説明する。

私が毎日感じていることを日々書き続けているが、これもエネルギーが噴出している現れだと思う。欲求もまた気の流れである。

また、過去の嫌な記憶もまた心に燻った滞りなのであるとも言う。

もちろん今の私の状況もかなり苦しい。痛みはあいかわず出ている。

 漢方を通じて自分を知る

漢方治療に取り組む前の自分を思い出すとき、ハッキリ言えることがある。

あの時までの自分は押さえ込まれ、粘土で固められた自分だったと。

当時苦しかったのは、すべてを押さえ込まれて何の欲求すら出てこない状態だったからだ。

今苦しいのは、その押さえ込まれた本来のエネルギーが噴出していて、それをこなすことが大変だからである。

その苦しみの意味が全く違う。

また薬剤師さんは説明する。

身体中の滞りは過去に溜まったものなので、それを無かったことにすることはできません。 それを外に出して、身体からなくすほかありません。その滞りの量がいとうさんはかなり多いだけです。 痛みはそういう時には出てきます。だからこの痛みは出て当然なのです。

私はさすがにこれはないだろう…と思った。   痛みが出るのは当然と言っても痛いものは痛い。何とかして痛みを軽くできないか、と。

薬剤師さんはその訴えには毎回応じてくれた。

耐えられない時は身体に余力がないからであり、その時は処方をマイルドにして身体に余力を作ってから、また積極的な処方ができる機会を待つ

そして、ここに来て

「頑張り時です」

今は頑張れと言うのは私が頑張れると判断できたからだと思う。それは今までの治療を通して私も納得ができていることだ。

もちろん、頑張りますよ。 それしかないですから。

流石に今週から身体が痛くて大変な状況です。 本当になぜこんな苦しむことになったよくわからんよ!

今後のいとうにご期待ください…。

【日記】2020年1月12日 朝の音楽

 今日の音楽

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ジョンウィリアムズ

Bach Lute Suite No. 4 Chaconne, BWV 1004 Prelude, Fugue & Allegro, BWV 998 and other selections John Williams, Guitar

バッハのリュート作品をギターで。

イエペスジョン・ウィリアムズのCDをメルカリでまとめて出品されているのを購入。

ギターは門外漢だが、純セレブスピーカーは撥弦楽器の音がよく響く。

今日も善き一日を。

素晴らしきパーソナリティ シューベルトとモーツアルト

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- SCHUBERT

C MAJOR QUINTET ORUS 183

VIENNA KONZERTHAUS QUARTET

  • MOZART

    SYMPHONIES 40 & 41 "JUPITER"

    Concertgebouw-Orchestra, Amsterdam JOSEF KRIPS,

ウィーンコンツェルトハウスQのシューベルト。決して声高にならない、あくまでもパーソナルな音楽。

クリップスモーツァルト。柔らかな呼吸。

 Markdown記法に

ブログを書くときやメモ書きをするときの記法をMarkdownに移行してみた。以前から少しずつMarkdownを使っていたが、ソフトに素晴らしいものがあったので、移行を決めた。

https://www.typora.io/

 純セレブスピーカー

スピーカー自作歴35年。

長岡鉄男の設計図を見て作るだけだが、スピーカーは自作に勝るものはないと思っている。(単に金がないということもある)

しかし5,6年前から思うようないい音が出せずに悩んでいたところ、一昨年前に出会った純セレブスピーカー 純セレブスピーカー誕生秘話

よろしくお願いします。

これからのことを考えよう

 音楽をもっと聴きたい

最近はCDを買うときはメルカリで中古ばかり買うようになり、リアルなショップではほとんど買わなくなった。

聴いていない中古CDには食指は動くものの、だんだんと新鮮さに欠けるようになった。

だから新譜を買うため先日タワーレコードに行ってきた。その割には購入したのはリイシュー品が半分以上。これは自分が保守化している。なんとかせねば。

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R.シュトラウス: 交響詩英雄の生涯」(第1稿)、エドガー・ヴァレーズ: アメリ

インゴ・メッツマッハーベルリン・ドイツ交響楽団

Challenge Classic

ワゴンセールで購入。フルプライスが1,000円ほどになっていた。

f:id:jsbgm1860:20200110220333j:plain これはメルカリでの購入したミュンシュラヴェルRCAリヴィングステレオボックスの中の1枚。演奏は熱い。

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宙吊り純セレブ

純セレブスピーカーのアップデートにも余念がない。

天井より吊り下げを試している。位置をもう少し詰めていきたい。

【日記】ブログを毎日更新していた15年位前、そして今。

非常に久々にブログを書く。

SNSや個人的な活動、読書、勉強などに時間をとられてしまい、ブログを書くところまで至らなかった。

 

今年は実りがとても多い年だった。おそらく過去振り返ってもこれほど充実した年はなかったのではあるまいか。様々な人と出会い、体験による学びも多かった。

来年はブログで考えや私の活動などできる限り公開していきたいと思う。

 

閑話休題

今年Macminiを導入した。残念ながらYouTube動画ライブ配信をするためにはPCが必要だっためだ。Corei3だ。

我ながらCeleronまでしか買ったことなかったので、最初はそこそこ速かったので喜んだが、5分程度の動画編集をするだけで相当な時間がかかった。立ち上がりも1分かかることもあった。ブログは更新しづらい。

これは失敗だった、と思った。

 

今年12月に入り、稼働率の悪いMacminiを売却し、思い切ってPCを買い替えた。スペックはCorei7くらいのPCを探したが、そこそこに高価。

そこでたまたまHPで見かけたPC。Ryzen7はどれほどの力量か?不明ながらも、価格は恐ろしく安い。

jp.ext.hp.com

これを購入した。

まだ動画を配信していないのでRyzenの力は未知数ではある。

立ち上がりは10秒ほどなので、文章を書くデバイスとしてならかなりイケると思う。

正直言ってMacminiは私のスタイルにはあわない。ノートPCのサイズ感と気軽さが必要。

 

Windowsはかつて8.1のひどさがトラウマになっていて、本気に自分の道具としては使えないと思っていた。

先日職場のPCがWindows7から10に替わって使ってみて、使いやすくなっていて驚いた。

これってMacと変わらない。むしろWindowsのほうが明快な部分もある。

しかも現在WindowsのPC価格は相当こなれている。

 

Macの価格が高止まりなのに対してWindowsは価格帯に幅があり、選択肢が豊富である。

Windowsはフォントに美しさがない、PC筐体のデザインがダサい、という印象が私には強かった。

しかし、少なくとも筐体デザインにおいては、魅力的なWindowsPCは想像以上にあると気づいた。

 

特に今回の買い替えにあたって、HPのデザインも驚くほど洗練されている。

これでセール時に9万円台。いいのかね。

 

結局PCは道具なので使い倒すものだと思っている。

もちろん道具にしてはそこそこ高額だから躊躇するところもあるが、割り切って1、2年で買い替えることにした。

金銭的にはもちろん苦しいのでコストパフォーマンスは重視する。

 

こうして新しいPCを使っていて思うこと。まだスマホSNSもなかった15年前。

立ち上がりに5分くらいかかるPCでブログを更新し、ブログで発言し、ブログで交流していた。

もちろん変な奴は当時からいて、彼らはろくなコメントをよこさない。トラックバックってもう死語だな。私もすでに説明できないわからない使えない。

 

15年前それでも私は充実していた。

いまやその5分が惜しいくらいになった。これを贅沢というのか。

いや、紙とペンに近づく道具としてPCを認識できてきたと言っていいと思う。

 

さてPC買い替えによりブログを書きやすい生活が戻ってきた。

しかし本当に、本当にブログは書けるのか。

大丈夫、才能は枯渇しない。もとから私には才能がないので枯渇しようがない。

 

今回15インチのPC。2㎏弱の重量とはいえ、デカい。

 

扱いづらいのだ。

やはり、私自身が贅沢になっていることは間違いないようだ。

13インチだったな、とすでに後悔をする。