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生きていく読書

読書を生きていく糧に。そして理解しあえる世界に。

マーラー覚書その1 私とマーラーとの出会い

ここのところ、マーラーの音楽に浸る日々が続いているので、少しずつマーラーについて書いていこうと思う。

今回は私とマーラーとの出会いを書きます。

最初にマーラーの音楽に触れたのは記憶が確かならば、中学生の夏ころ。もう30年以上前になる。

ベルリン芸術週間というベルリン(まだ西ドイツであったころ)でのコンサートで

マーラーをテーマにコンサートを行っていたもののライブ録音がNHKFMで放送されていたとき。

どの指揮者がどんな曲を演奏していたか、ほとんど覚えていないが、交響曲第1番「巨人」、第2番「復活」、第5番、第8番「千人の交響曲」は聴いた記憶がある。

その時の印象は、非常に壮大でスケールの大きい音楽だ!という衝撃的なものだった。

小さなラジカセで聴いていたものだから大した音質ではないが、妙に魅かれるものがあった。

その中学生のころ、購読していた雑誌FMFanで音楽評論家の武川寛海さんが連載でマーラーの音楽と生涯をやっていた(「名曲が生まれたとき」とかいう名称だったように思う)のを毎回舐めるようにして読んでいた。

今でもその文章が頭の中でよみがえるほどである。(たとえば第3番の曲の解説のくだりで、「第1楽章はここからが長い!」とか)

今から思えば当時80年代と言えば空前のマーラーブームであって、指揮者、レコード会社がこぞってマーラーを録音、リリースしだしたころである。

ちょうど録音もアナログからデジタル、レコードもLPからCDに変わりだし、マーラーのような長大な曲もリリースしやすいものになってきたのだろう。

記憶によるとマゼールウィーンフィルノイマンチェコフィル、インバルがフランクフルト放送響、ショルティがシカゴ響、ちょっと後になってバーンスタインが2度目の録音をし始めたころになる。

マーラーに魅かれたのは先に書いた武川さんの文章がめっぽう面白く、読むだけでマーラーの音楽が聴きたくなるようなものだったことも起因していると思う。

そういったラジオをかければクラシックの番組ではマーラマーラーばかりだったので必然的にマーラーを聴く機会が増えることになる。

一番最初に記憶に残っているのはFMラジオで当時から名盤とされていた

バーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニックの演奏で交響曲第5番を聴いたのが思えば私のマーラーの原風景だったと思う。

ラジオで何気なしに第1楽章から聴いていたら、これはすごい曲だと思い、慌ててカセットテープで録音したという、だから録音も途中から。第4楽章アダージェットと第5楽章ロンドフィナーレだけ。

これをなんとまあ数か月毎日聴いていたという、おかげで第4楽章アダージェットはバーンスタインの悶えるような情感にあふれる演奏でないと今でも納得ができないのである。刷り込みというのはこういうのが怖い(笑)。

少ししてお年玉で念願のレコードプレーヤーを買い、ラジカセにつなげて聴ける環境になったので、お小遣いがたまるとレコード(当時はまだCDは高価でもっぱらLP)と本を買うという日々になった。

最初に買ったマーラーのレコードはなんだっけ?おそらく、ズービン・メータ指揮ウィーンフィル交響曲第2番「復活」だったと思う。

値段は2枚組4500円という今思うと中学生にしても超高価な買い物だったのになぜか買った。

しかし、この演奏に私は完全にハマった。なんといっても音響的にかっこいい。終楽章の合唱が入るあたりがメチャ盛り上がる。

これまたヘビーローテーションで暇さえあればこのレコードを聴きまくっていた。

ご存知のように、この曲は最終楽章までいくと賑々しくなるので当然音量は大きくなる。

ラジカセはマランツのブスタングという変な名称のものだったが、小さい割に音はよかったのでガンガンに聴いていたら、

階下のばあちゃんが2階の私の部屋までやってきて

「あんた、(そんな大きな音出して)耳が悪くなったんじゃないの?」

と言いに来たくらい大音量だったらしい。

そのあと聴いたのが交響曲第1番「巨人」のLP。ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団。不朽の名盤とされているもの。

これもまた何とも優しくナイーヴな演奏でいかにも若さへの憧憬を感じさせる泣ける演奏だった。

これも何度も何度も聴いた。擦り切れるくらい聴いたと思う。

ただ第4楽章が、もうすこし最後が盛り上がるといいのになあ、、、と感じることもあった。(それは後々聴いたテンシュテット指揮シカゴ響のCDで解消することになる)

これが私とマーラーとの出会い 中学生のころ

以上ここまで。