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生きていく読書

読書を生きていく糧に。そして理解しあえる世界に。

マーラー覚書その2 高校生の頃の自分とマーラー生体験。

マーラー

学生の頃というのは多感な時期で、

親や学校、社会への反抗、人を好きになるという体験、喜びや怒りや悲しみすべてを感じる、その人の感情の萌芽となる時期だと思う。

などとカッコいい感じで始まるが、実際の私はそんなカッコの良いものではない。

中学を卒業を迎える前に高校受験の話をしなければならない。

中学の前半はラジオ、後半になるとレコードなども買うようになった。

愛読雑誌はFMfan。220円と安価で中学生でも気楽に買える価格であった。

今は時代の趨勢もあり、FMラジオの番組専門雑誌は本屋に行っても売っていないが、当時は週刊FM、FMステーション、そしてFMfan、これが3大FM雑誌だった。確かもう1誌あったような気がするが、憶えていない。発行はどれも隔週刊であったと思う。

週刊FMやFMステーションがポップスやロックの記事がメインだったのに対して、FMfanはポップス、ジャズ、クラシックとバランスよい記事内容で、レコードレビューも毎回気の利いたものだったし、毎回の特集の読み物も充実していた。

このFMfanは色々なところで読者を楽しませることに長けていた。

たとえば毎回買って本棚に詰めていくと1年間で背表紙が1枚の絵になるという時期もあった。こんな発想なかなかないと思う。

番組表を切り取るとちょうどエアチェック(ラジオを録音すること)したカセットテープのレーベルの幅にあっていて、そのまま録音情報がカセットテープにも残るという工夫も良かった。

さて、私の中学生の頃はFMラジオでエアチェックをまめにして、気に入った曲や演奏があれば、レコード屋へ行って半日かけて財布と相談しながらレコード選びをしたものだ。

それと愛読していたのは音楽之友社から出ていたムックでクラシック名曲名盤300というもの。これは今でもあるパターンの雑誌であるが、評論家が300の名曲をどのレコードが名盤かを投票して決めるというもの。

どこぞの合唱か吹奏楽のコンクールみたいに順位を決める。それで各曲の名盤に選ばれたベスト3を評論家がどこが素晴らしいかをコメントするというもの。

今でも部分的に順位を思い出すことができる。

ベートーヴェンの第九の第1位はバーンスタイン/ウィーンフィル、第2位がフルトヴェングラー/バイロイト祝祭管、第3位はベーム/ウィーンフィル

この時期は往年の名指揮者フルトヴェングラートスカニーニは不動で、巨匠がベームカラヤンバーンスタイン、若手ではアバド、メータ、くらい。

ムーティや小澤などは評価があまりされず、すでにマーラーを録音し始めていたテンシュテットなどは全く評価されていなかった。

話はさておき、高校の受験に入る。

私の高校選びはまず、音楽が盛んな学校がいいと思っていた。

いろいろ調べていたら、私立は吹奏楽が盛んな学校が多かったが我が家の家計では私立には行ってほしくないとのことだったので、公立の高校を調べた。

そうしたら、音楽部があってコンクールでも全国大会に行っている常連校を見つけた。

そこにピンときて、自分の成績と照らし合わせてみたら、見事に合格圏ではないか!

ここに行こうと決めて、受験して合格。

さて話を端折って高校入学時に知ったのだが、音楽部は吹奏楽部でもなく、バンドでもなく、

合唱部だったorz

俺は楽器をやりたかった。

俺はトランペットを

あるいはサックスを

なんならトライアングルでもいい

しかし、音楽部は合唱部。。。楽器はない。

だがしかし!

入学時の校歌指導で模範で演奏したその音楽部の歌は

メチャクチャ上手かった!(当時の自分の耳では)

即決めたが、なぜか勧誘の先輩は私にはあまり勧誘をせず、入部届を出しに音楽室に行った時も

「あ、来たの。」

というくらいそっけなかった。

まあいいや、俺はここで3年間やるんだと決めて来たんだから。

それがまたマジな話で、この音楽部は毎年3月末に定期演奏会(当時は定期発表会と言っていた)をやっていたのだが(ちなみに入場料300円。やすー)、

高校を卒業しても音楽部は卒部しない。だって卒業式後にやる演奏会後にしか部活を卒業できないのである。3年生の引退の時期は夏ではないのである。普通夏とか秋じゃないか。。。

それでNHKと朝日のコンクールに出て全国まで行くと11月だ。そのあとは演奏会の練習に明け暮れる。

練習と言えば休みは顧問の先生が北海道のスキーに行くのでということで冬休みは部活はない。

ところがコンクール前の夏休みは盆休みはあったかどうかも忘れるくらいだし、

平日練習は5時半まで、そのあと部内の委員会活動やら雑談やらで家に帰る時間は7時過ぎ。帰ると北斗の拳がテレビでやっていたころだから7時過ぎに帰っていたのだろう。。

土曜練習日曜練習もコンクール前はじゃんじゃん入ったし。朝練はなかったが、昼練をOBの先輩に頼んでやってもらていたので、昼飯は11時ごろの休み時間に早弁して、昼休みは音楽室へ直行、という日もあった。

ほとんど休みはなかったんじゃないかな。コンクールと離れた日曜日と定期試験1週間前くらいは休みはあった。

そういう状況で顧問は

「勉強と部活の両立」と言って憚らない。

くそまじめな俺は勉強する時間は睡眠と通学時間に費やしたので、

2年生に入ったころから教室のみんなが自分のことを笑っているような妄想にとらわれたり、夜中に眠っていても動悸が激しくて眠れない時がよくあった。

これは、、今だから告白できるが

完全にクレイジーゾーンに足を突っ込みかけていた。。。坂口安吾が世界一難しい言語と言われるパーリ語をやりすぎて神経衰弱になった話を思い出した。

そんな状態で大学受験などまともにできるわけがない。

時間はない、受験勉強をしなくてはならない、焦りばかりが先行してすべてが空回り。

3年生に入るころにはもうそんな状態で、部活でもコンクールで舞台に上ると頭の中はグルグル回るし、足はガクガクふるえるし。

今思えば部活やめればいいじゃん、て思うのだが、

当時は自分の中で「音楽部を3年間続けるスイッチ」が入ったままだったので辞めるつもりは毛頭なかった。

実際人の声だけで作る音楽はそれはそれで素晴らしく楽しいものだったし。

話はやっと本題へ。マーラーである。

マーラーの私の生初体験(なんか違う意味にとらえられそうだが)は高校1年生の9月。1985年。

なんと!

交響曲第9番ニ長調!!!

演奏は

ななんと!!

レナード・バーンスタイン指揮イスラエルフィルハーモニー管弦楽団!!!!!

マーラー絶筆の不朽の名作がバーンスタインの指揮で生で聴けるなど、もう二度とない!!

当時はそこまでは思っていなかったが、今から思うとやはり二度と聴けなかったのだから、聴いてよかったと思う。

この演奏会にまつわるよもやま話は尽きないし、あちこちで書いてしまったので自分も今更書く気持ちは湧いてこない。

しかし、言えることはあの時の演奏はやはり神がかり的であったし、その後数回聴いた生のマーラー第九の演奏を凌駕するものはない。

この生演奏体験は墓場まで持って行ってあの世でバーンスタインにお礼を言いたい。

あなたのおかげで私はマーラーの素晴らしさを知ることができました。本当にありがとう。と。

話はこれで終わらない。

この年高校1年の秋、さらに私はマーラーの千人の交響曲と言われる交響曲第8番まで生で聴いてしまうのである。

演奏は外山雄三指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団

名古屋で行う千人ということで当時はかなり珍しく話題になったと思う(夜の5分間ニュースでも映像が流れたくらいだ)。

記憶によれば日曜日に昼夜と2回公演だった。

正直にいえば、圧倒的な音圧と輝かしいマーラーを体験できたのだが、いかんせん、バーンスタインの衝撃の後だ。印象が薄いのも致し方がない。

しかし高校生で2回それも8番9番という大作を1年間で生演奏で聴いたのだからめぐりあわせが良かったとしか言いようがない。

ここではマーラーの話に終始したかったが、結局部活の話が多くなってしまった(笑)。

でも、マーラーの生体験と自分の高校生活の思い。それは情熱と現実との葛藤というテーマにリンクしていたと今更ながら思うのです。

正直、高校生活は楽な時期ではなかった。しかしマーラーやそのほか合唱をはじめ、いろいろな音楽を吸収できた貴重な時期ではあったと思う。

なんだかマーラーの話は少しで、高校生活の話が多くなっちゃってがっかりさせてしまったかもしれないですが、次回は大学生の時のことを書きますね。

では。