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生きていく読書

読書を生きていく糧に。10年以上の精神疾患持ちなので、たまには愚痴も出ます。

SNSの整理、そして古典を読むこと

インターネット ドストエフスキー 日記 文学 読書 障碍

▶今日はまたもや体調不良。或いは風邪かもしれない。朝からどうにもやりきれなく、食後、布団に潜り込んだ。

▶昼に起こされて昼食。それから少し読書。「カラマーゾフの兄弟」を少し読む。

▶ここ数週間SNSについて身辺整理をしている。

Twitterは完全にやめた。Facebookも投稿は読書メーター経由のみ、他の投稿はしない、他人へのコメント・いいね、はしない。

▶インスタグラムもやっていたが、やめようと思っている(削除の仕方がわからないので放置している)。

▶ネットでの関りは再びブログに収斂させようとしている。一応、SNSと言われるものは今のところ読書メーター。これはSNSとして使うより、自分の読書の備忘録として使っている。

▶インターネットを使うようになってから15年くらいになるが、自分にとって良かったことは何だろうか?

▶ネットがなければ知り合いになれなかった人に多く出会えた。これは良かったこと。

▶つい、衝動買いしたり、偏った情報に惑わされたりしたこともあった。これは悪いこと。

▶どういう道具でも諸刃の剣であるわけだ。

 

▶話は変わる。30代から患った病気が今になっても治らない。詰まるところ、今後もこの病気とうまく付き合っていかなければならないということだ。容態は老化とともに悪化している自覚もある。

▶段々とやれることは限られてきた。ネット世間も縮小させよう。趣味も学習もあまり広げることはせず深堀して集中させよう

▶思い起こせば20代の頃はなにかひとかどのことをしなければ、という焦りがあった。だから自己啓発本や実用本、教材を買い、読み漁った。おそらく1週間に10冊くらいは読んでいたはずである。投資額も半端なかった。にもかかわらず、身についたものは残念ながら少ないと今は感じている。

▶30代で病気になると、まったくと言っていいほど本が読めなくなった。集中力がなくなったのである。この10年はほぼ空白と言っていい。

▶30台後半に入ると世の中はちょっとした勉強ブームでビジネススキルを磨くなどという勝間和代さんなどの本を沢山読んで影響されたが、今思えばやはり自分の滋養になった読書とは到底思えない。

▶以上の自己の振り返りから思うことは、仕事に役立つという近眼視的な発想だったからこそ身につかなかったのだと思う。本来の自分の知的好奇心にまかせたものならば自然と身についたはず、である。

▶そしてここへきて今度は世の中は教養ブームである。ビジネスで生きる古典書、役に立つ哲学、歴史から学ぶ経済、などなど。

▶私は教養ブームについて、悪いことではないと思っている。でも役に立つから本を読むという発想ならば自己啓発本や実用書を読む態度と全く変わらず、結局表層の理解しかできないのではないかと、自己反省を含めて感じている。(それでも読まないよりは数万倍マシではあるが)

 ▶何度も書いているが歴史を大人が学ぶことは非常に重要だと思っている。そして、哲学は物事の本質を理解する道具になりうるし、逆に文学ならば理論では測れない人間の矛盾や欲の深さを感じ取ることができると思う。科学の発想も今の自分には少ないのでそれも大切だ。

▶今の自分が必要としていることはやはり読書ではないかと思う。それも、国内外の古典的名作、歴史書を中心に読むこと。過去の事実をもっと深く知り、様々な価値観を自分に取り入れたいのだ。

▶ならば、SNSやメディアに関わっている暇はそれほどない。おいしい料理を食べた、素敵な旅行をした、そんな写真を送ったり共有したりする理由が今の私には見つからない

▶このブログもそれほど一般ウケする内容を書くつもりはない。日記として備忘としてのブログになるかと思う。