音楽と読書と社会 日記編

「音楽と読書と社会」イトウの活動など日記

【日記】2018年7月22日 朝 「こんなに幸せでいいのだろうか症候群」

▶︎昨日noteで記事を書いた。ここのところの共通テーマ。いま生きているリアリティの有無。

note.mu

▶︎長年問いかけや疑問、色々なところで行ってきた「種まき」。最近、周囲からよく相談や喜ばれることが多くなり、少しずつ人と人のつながりを感じるようになった。引っ越しも騒音がない住宅街で日中も工場騒音もない。非常にストレスなく生活できる。家族にも恵まれて幸せだ。

▶︎正直言って、いまだに「こんなに幸せでいいのだろうか?」と思う時がある。

▶︎「努力」「我慢」「貯蓄」「人生計画」そして「人を信用せず、人を出し抜け!」と子供の頃から言われてきた。こういう教育、いや価値観の押し付けがまだ私の意識に残っている。私はこれらの価値観の押し付けは完全に間違っており、むしろ幸せとは程遠いと思っている。

▶︎「努力」は最初からすべきものではなく、結果として努力しているだけ。「我慢」は無理やりやっていると心身に悪影響を及ぼす。「貯蓄」は大切だが、将来への「不安」が先立つと「不安」を利用して様々な商法に金を吸い取られるだけ。振り込め詐欺などはその典型。「人生計画」、一つの条件が変われば全て変わるからその計画作りに時間をかけることはほとんど無意味である。人生は即興であるからこそ意味がある。

▶︎もちろん「刷り込み」「洗脳」的なものはなかなか抜けるものではない。自由に生きれば生きるほど、かつての「不幸のコンフォートゾーン」に時々連れ戻されそうになるのだ。

▶︎他人比較で行けば、私はそれほど恵まれていない部分も多い。障害を持っているし、ゆえに生活困難者でもある。仕事もかなり制限されて経済的に潤っているとは到底言えない。しかしそれでも私は幸せだと思う。他人と比較しなくなった時点で「自称幸福」で良いのだ。

▶︎楽しいこと、好きなことに集中できる。これはとてつもなく幸せなことだと私は思う。

▶︎一方で、楽しいとも好きとも感じられない人がいる。好きでもないことをルーチンでやっている。楽しくもないのに趣味娯楽と思い込んでなんとなくやっている。どうやらこれが日本社会の常識のようだ。

▶︎だから本当に好きなこと、楽しいことをやっている人、感情表現している人を見ると嫉妬やっかみ、「お前はいいよなー」「あんたはいいけど他の人は違うんだよ」的な攻撃を仕掛けてくる。これ本当にやられる。

▶︎私はそういう攻撃に慣れているので、「じゃああなたもやれば?」と返答する。すると必ず「私には〇〇があるのでできないのですよ」「私には才能ないから」「みんなはあなたとは違うから」という言い訳をされる。はあそうですか。あんたができない理由を私に言われてもわしゃ知らん!である。

▶︎これは自分には好きなことがない、やりたいことががない。でも自分が実現できない(と思い込んでいる)ことを他人が実現して幸せになってることが許せない、妬ましい!ということを明言しているようなものである。

▶︎「自分の望むことが自由にできていること」が幸福というならば、幸福を他人との比較をし続けては、一生幸福にはなれない。自分軸で、自分がどう感じているかで決まる。というか決めるしかない。自分がこうだと思ったことを決めてやるしかない。間違った!と思ったらすぐ立ち戻ればいいだけ。

▶︎とにかく、自分が良い楽しいと思っていることを心底やれる気持ち空間時間があること。他人から何を言われても関係ない。言われそうなら人のいないところで自分が楽しいと思うことをやればいい。これを私は「魂の解放」と言う。

▶︎ここまで書いて私ですら「こんなに幸せでいいのだろうか」と思う時があるのだ。常に自分自身への返答は

「もちろん!自分が幸せだと思ったらそれでOK!」

である。毎日そう言って過ごしています。