音楽と読書と社会 日記編

「音楽と読書と社会」イトウの活動など日記

【日記】2018年8月16日

▶︎お盆休みというものが終わる。新卒のころは盆と年末は稼ぎどきなので、仕事を休むことがなかったので、お盆を休むことが妙に違和感がある。どっちでもいいが、盆の方が仕事ができそうな気がする。年末や祭事の時の方が臨戦態勢になってしまう。

▶︎引っ越してから完全にテレビも観ない新聞も取らない生活。一応、ネットニュースやGサーチでチェックしているのでそれほど不便はない。むしろ家族の会話や個々人の時間が持てるので、適度な情報遮断は心の健康を保つには必要かもしれない。

▶︎橋本治「人はなぜ『美しい』がわかるのか」を再読。

「美しい」がわかる?この本はかなり重要なことを書いているが、引用だと長すぎるので要約。

「美しい」と感じる軸はまず自分自身の中にあり、最初から答えが用意されている訳ではない。外側にその判断基準がどこかにあると勘違いしている。

「美しいもの」 例にあげられるのは美術品。

美術品の価値は「誰かが高値で買うからだ」と思うなら、完全に他者の判断基準しかない「美しいがわからない人」になる。

自分が「これは美しい」と感じることよりも、外からの判断基準を期待していることになる。

自分の判断基準を持つことはわかる人にはわかるし、わからない人にはちっともわからないという。「(金銭的社会的)価値があるもの=美しい」これは勘違いも甚だしい。

私もそう思う。

▶︎そもそも、美しさや素晴らしさという判断基準を「自分」軸に置いてなかったら、美しさは関心の外にある、どうでもいいものになる。「美しい」がわからない人は美しいものは(金銭的権威的に)高いとその価値があると思い違いをしている。逆に「醜いもの」には価値がないというのも同じだと私は思う。

▶︎最近レイシズムや差別発言を表現の自由という向きもあるようだが、この本を読んで私が感じるのは私にとって「美しい」がわからない人が多過ぎるのではないかと思う。差別発言を平気で繰り返す人は、自分の軸なのかどうなのか。

人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書)

人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書)