音楽と読書と社会 日記編

「音楽と読書と社会」イトウの活動など日記

【日記】2018年12月16日 寒くて動きづらい

 昨日漢方処方日。昨年7月より病気治療に漢方処方を取り入れている。個人的にはかなり効果的と思っている。

 あまりに効果が出すぎてまだまだ大変なこともある。(なかなか文面では体感を表現できないのでもどかしい)

 薬剤師さんの言うにはここ2週間の季節の急激な変化によって、身体が固まっている人が多く出てきているとのこと。

 私もご多分にもれない。2週間の体調が本当に酷いもので、通勤も無理やり行っていた部分が多い。

 無理はしないできないので欠勤していた。

 ただ惰眠を貪るのも虚しいのでPythonの勉強をし始めた。エネルギーが少しあるときは詩の音読。絵を書く。横になりながら音楽を聴く。

 本当に申し訳ないくらい金が無い(酒飲みやギャンブルなどの余裕はもちろんない)。

 しかし虚勢は張る。読書をし学び続ける。他人の言葉も受け止めよう。

 

 

人と対話すること。そして物事を素朴な問いから始めること。

決して難しいことではない。ただ、人はどうしても他人の考えを拒絶することをしがちだ。

「理解する」のではなく「受け止める」

相手を理解するということが先に立つと意外に聞けず、理解できなければ、意識的か否かにかかわらず、拒絶ないし無視することに繋がりやすい。だから「聞く」ことを、理解することから切り離したほうがいい。

 むしろ重要なのは、ただ「受け止める」ことだ。そのさい「受け入れる」必要はない。受け入れれば拒絶したくなるかもしれない。あるいは、受け入れてしまうと、わかった気になったり、相手の距離がとれずに一体化してしまったりするかもしれない。いずれの状態も「聞く」こと、ただ「受け止める」ことの妨げになりかねない。

(梶谷真司「考えるとはどういうことか」169頁〜170頁より)

この部分は非常に示唆を与えてくれる文章だと思う。

 「理解する」という軸ではどうしても「理解できない」ことに対しての反応はどうしても拒絶になりがちだ。

 そうではなく、他人の発言をただ「聞く」「受け止める」という態度で行こうということだ。決して「受け入れ」なくてもいい。「受け入れる」には理解することにつながる。

 具体的いう。

 お風呂に毎日入らないと生理的に気分が悪いひとがいるとする。そういう感覚を持った人からすれば、週に1回しか風呂に入らない人は到底理解できないに違いない。

 しかし、ここで理解する必要はない。週1入浴の人はそういう習慣を持つ人として「受け止める」だけでいい。だって毎日風呂に入らないと落ち着かない人が週1入浴を受け入れられるはずがない。

 そういう人もいるんだな、とただ「聞く」だけでいいのだ。そこに理解することはない。ましてや清潔不潔というような価値判断をすることも全くしなくていい。

 人間はともすると人の考えていることやあり方を理解しようとしがちだ。しかし、まずは理解や判断をせず「聞く」「受け止める」ことを意図的にする必要もあると私は思う。