音楽と読書と社会 日記編

「音楽と読書と社会」イトウの活動など日記

【日記】続・遺言的に 精神的虐待、モラルハラスメントの恐ろしさ 2019年3月28日

はじめに

 

これから書いてあることを受け入れられない人も多いことと思います。

ひょっとして御自分の重い過去の蓋を開ける行為となり、場合によっては辛い記憶を呼び起こすことになるかもしれません。

だから読みたくない、と思ったらそこで無理せず画面を閉じてください。

 

 

虐待・暴力・ハラスメントは無条件にやめよう。

 

私にしてくるな。

 

私はしない。

 

幼少時から成人になってもダメ人間扱いされていると、こういう私のような状態になってしまうのかと思う今日この頃です。

 

私はいま歩くことにも苦痛が伴います。身体に緊張で力が入れる習慣がついていて脱力がしづらく辛い状況です。

家庭でも心を許すことができず、緊張した環境に囲まれて生活してきました。

 

思い起こせば安堵することやゆったりした休日すら過ごせない苦しい子供時代でした。

その苦しさは結婚して子供が成長した今でも続いています。

 

しかしハッキリ言いますが、

私が弱いのでもなく、無能なのではありません。もちろんダメ人間でもありません。

 

暴力や虐待する人間のほうがダメなのです。

 

いまだに家庭でも学校でも社会でも暴力やハラスメントが横行しています。

しかし暴力やハラスメントで攻撃してくる相手がその行為に無自覚で無頓着です

なおかつ暴力を平然と正当化する人もいます。

こんな暴力が普通だと多くの人は感情や欲求を殺して生きざるを得ません。

最終的に肉体にすら影響が出てきます。

実際私がそのいい例です。

その環境下において死にかけました。

なんとか生きていますが、いま再び死に向かっています。

 

このような苦しみはどこから来るのか。

私にある苦しみの多くは生まれてから続く、精神的な虐待から来ているのです。

 

精神的な暴力は、肉体的暴力をあからさまに行なうよりも残酷な行為です。

それは善良さを装って相手に罪悪感を抱かせる、いわゆるモラルハラスメントです。

モラルハラスメント(moral harassment

暴力は振るわず、言葉や態度で嫌がらせをし、いじめること。精神的暴力。精神的虐待モラハラ

 

家族の中で親よりも大人になることを強いられた高校生時代

妹と父の喧嘩に仲裁に入った時がありました。私が高校生の頃です。

喧嘩の理由は、妹の友達への父の言動でした

父は妹の友達を不良と断じた上で、友達の人格否定をして交友の断絶を妹に命令したのです。

「自分が怒られるのならまだしも、友達を貶めるのは許せない!」

こう泣き叫んで妹は怒りと悲しみを露わにしました。

この時、私は家族の危機だと感ました。そこで私が仲裁しました。

しかし、その時にまた衝撃的な言葉が父の口から出たのです。

「妹はオレ(父親)のことを聞かないから、じゅんが妹のことを面倒見てやれ。」

その時私は思いました。

「私が妹を支えなければいけない」と。

 

しかし一方でこう思いました。

 父は親の役割から逃げて、子供の私に責任転嫁しているだけではないのか?

  

大学受験に無関心な親

その親の一方的な感情の押し付けで疲弊する私

肉体的な暴力は身の危険を感じますし、誰でも暴力だとわかります。

一方で精神的な暴力であるモラルハラスメントは表面化しにくいし、日々ジワジワと行われるために被害者も逃げる行動が遅れる。非常に陰湿な暴力です。

 私は父親から「国公立大学へ行け」「エンジニアになれ」と言われ続け育ちました。

それだけでは大した問題はないのですが、ここからが違います。

 

私が高校の時、文系の社会学系の学部に進みたいと思い勉強していました。しかし父はそれについて無関心でした

それでも私は自分の勉強したい学部を国公立大学で関東や関西の大学のなかで探しました。なんとか進路を決めたのです。

 

ところが受験2ヶ月前。11月に父から言われました。

「金が出せなくなったから自宅から通える範囲にしてくれ。」

あと受験まで2ヶ月。父はそれまで「国公立に行け」の一点張りの中、さらに経済的理由を一方的に言って私の選択を狭めたのです。

 

私がその直前に大阪の公立大学を受験したいと言ったところ、「そんな大学出身者はウチの会社(某大手電機メーカー)にはいない」と言って完全に否定しました。

自分の会社にその大学出身者がいないだけでも認められないのか?と愕然としました。

 

しかしここでいざこざを起こしていても時間を消耗するだけだと思い、やむなく地元の国立大学に進路変更しました。

しかし、準備も足らず、精神的にも追い込まれ睡眠もゆっくり取れなくなり、結局受験は失敗しました。

その時、父はこのように言いました。

全てオマエの勉強の怠慢であり、予備校に金を出して行かせてやるのは親だから、ありがたく思え。

しかも予備校に行かないと怠けるから、絶対に行けという一方的な命令です。

受験直前に一方的な都合で進路変更させたのは父です。受験を失敗した原因がそこにあるかもしれないという考えもありません。

 

私は砂を噛むような思いで1年間の浪人生活を過ごしました。既にわたしには自由な進路選択などありませんでした。受かる国公立大学に行くしかなかったのです。

 

それでも私は大学で学びたかったことがありました。できれば研究職に就きたいという希望もありました。

それについても両親に言い続けていました。

しかし彼らの反応は一応に同じです。無関心な態度です。

そして私がいざことを起こそうすると必ず仕掛けてくるのが全否定の言葉です。

「そんなことでは食っていけない」「カスミを食っていくつもりか」

ことごとく子供の欲求を封じます。

 

 

大学卒業前に私は次のようなことを思い出したように両親に言いました。

「オレ、社会学を大学で勉強したかったんだよ」

このあとの父親の言葉が絶望的です。

そんなにやりたかったのなら、なぜハッキリ言わなかったのか?

それだけ考えていたらなんとかしてやったのに。

 

 

これは絶望的な言葉です。

まず私は進路についての希望を散々言っていました。社会学部のある、できれば私立の大学でと。

関西地方に私の希望に合った大学がありました。私は家庭の経済的問題をそれなりに理解していました。

それでもなんとか学びたかったので、新聞奨学生の制度を使いたいということすら話していました。

しかしその時も詳しい話を聞かずに「そんなことをしては学業をおろそかにしてしまうからダメだ」と父は私の考えを封殺しました。

大学で学ぶために、具体的な方策を私は調べた結果の提案だったのです。

 

後に父は

「息子がはっきり言わなかったからわからなかった」と何も聞いていなかったかのように平然と言うのです。

あれほど重要なことを話していたのに聞いていないと言う。

しかも話していないことにされ、私に否があると責められるのです。

私が神経をすり減らして進路変更に思い悩ませていたことを、知らなかったと言うのです。

 

そんな無茶苦茶なことが普通が私の家庭環境でした。

おかげで高校時代は極度の緊張と離任意識、睡眠不足と幻聴に悩まされました。

 おそらく統合失調症の症状でした。

しかし精神科に行くことが憚られた時代でしたから、通院することも考えられず、人知れず苦しんでいました。 

 

こんな目にあっていても、私自身の伝え方が悪かったのだと最近まで思っていました。しかし、それは全くの間違いだとやっと気付きました。

 

これは完全に親の子供への精神的虐待、モラルハラスメントのです。

 

その後もさらに精神的虐待は続きました。

高校受験を終えた妹に「県下最低の高校しか行けないなんて」と父の言動。

これは子供の人格否定と言わずなんというのでしょうか。

その後、妹は成人して就職してからも門限を設定されました。

結婚するまで自立を許されず、実家での監視下に置かれていたのです。

 

私に対しても卑劣なハラスメントは続きました。

私が結婚して実家を出たすぐのことです。

「銀行から実家に親展の封書が届いたので取りに来い。」と父から連絡がありました。私は結婚に伴う住所変更届出を忘れていたことを思い出し、急いで取りに行きました。

実家に着きその封書を見たとき既に封が開いてました。

不審に思い尋ねると、父は「親展だから開封した。銀行口座の残高不足で引き落とし不可の文言を読んだ。」

私は怒りました。親展は本人がまず開封すべきもの。それを父親がなぜ勝手に開封したのかと。

しかし父はその行為を謝りません。

「親展だったから封を開けた。オマエのことを心配に思っただけ。オマエが残高不足を注意しないからダメなんだ。」

これが父の言葉です。どう考えてもおかしな理屈です。親が心配しているという理由で成人した子供のプライバシーを侵害することが許されるはずがありません。

私には非がありません。

 

そもそも他人宛ての封書を勝手に開ける行為はマナー違反です。親展ならなおさらでしょう。

 

子供であろうとも既に大人として自立しているのにもかかわらず、本人のプライベートな封書を覗いた行為に問題があります。

しかし父は私の封書の中身を見てしまったことを私に詫びるどころか、私の落ち度とすり替えてひたすら責めたのです。

もちろん、私は抵抗しました。しかし全く父は意に介しません。

のちに父にこのことをあらためて話したところ、

「記憶にない、そんなことするはずがない」の一点張りでした。

これも衝撃的な絶望です。都合の悪いことは全て記憶から消し、都合のいい話にすり替える。

こんな父はサイコパスなのかもしれません。

 

あまりに細かく書きすぎて私も嫌な気持ちになりましたが、これでもまだ序の口です。

 

もしこの文章を読んで、こんなことは日常茶飯事で大したことないと思うのであれば、それはあなたがハラスメントの連鎖に取り込まれている可能性が高いかもしれません。注意してください。ご自分も他人にハラスメントを仕掛けている恐れがあります。

 

 私は一連の両親の言動、とりわけ父親の病気ではないかと思える行為に悩みましたし、今でもその後遺症に悩んでいます。

 

私は自らの精神的健康を確保するために、両親との一切の連絡を絶っています。

 

よくよく考えると

彼ら両親は自分の子供のことなど実はどうでも良かったのではないかと思うのです。

親が子供を心配することが当然であり、そのためならば子供の感情などを見なくても構わない。

単に自分の都合のいい時だけ一方的な親の立場を振りかざしていただけではないだろうか。

 

親の問題言動を指摘しても認められない絶望

そもそも父親の言動は大きな矛盾があります。

子供を未熟なものとして支配し、考えや欲求を封殺します。その一方で、都合が悪くなると全ての責任を子供に丸投げするのです。

本来子供が未熟ならば、親はその未熟さをカバーし導く責任があるはずです。ところがその未熟さをカバーするどころか、

子供から親の矛盾や未熟さを指摘されると全く理解しないか無視をして逆ギレするだけです。

その時々で変わる親の感情を一方的に押し付けて、それを受け入れない子供をひたすら攻撃します。

これが精神的暴力と言わずなんと言うのでしょうか。

 

 ハラスメント行為が連鎖する仕組みはこちらの本に詳しい。ご参考までに。

ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書)

ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書)

 

 

こうしてハラスメント行為を自分の体験を踏まえて綴るとはっきりします。

ハラスメントは重大な暴力であり犯罪に等しいものだということを。

ハラスメントをしている私の親はいまだに反省することはないと思っています。

私が必死に言っても絶望的にわからないのです。反省の気持ちも感じない、おそらく私が今死んだとしても私が弱くて悪く、親は問題ないと思い続けるでしょう。

 

私は完全に絶望しています。

私は父親を単に幼稚で未熟なまま大人になった人と断定せざるを得ません。

 

精神的虐待・モラルハラスメントは人間の人格や存在の否定そのものであると私は考えます。

ゆえに決して見過ごされてはならないのです。

 

人間として表現を認められず、考えも尊重されなかったなら、

それは精神の死であり、魂の殺人である。

 

しかし残念ながら、両親はそれを認識しません。

それどころか互いに人の存在を無視して否定しまくっています。

 

こんなことでは本当にみんな死んでしまいます。むしろ死にたくなって当然です。

 

私は今死の淵に立っています。

この状況になっても感じることは

どんな理由があっても、子供の人格否定をしてはいけない。

ということです。

人格を否定してしまうことが今まで通りに行われるならば、子供に私と同じかそれ以上の苦しみを抱えさせてしまう。

 

そんなのもう自分だけで十分です。

懲り懲りです。

やめてもらえませんか。

 

 

ここで私はいちど死にます。

 

そして私は本来の自分として再生していこうと思います。

もう他人のために自分を殺すこともないでしょう。

 

しかし残念なことに、もう私の生きる時間はあまりないのです。

一昨日書きましたが、それからも刻一刻と死期に近づいています。

 

ここまでの考えに至ったのに。悔しい。

 

そこでお願いがあります。

この文章を読んで共感した人は、

このハラスメントをしない、させないことをネットでもリアルでも良いのでどこかで表明してくださいませんか?

 

そういう人が1人でもいたら私の経験も決して無駄ではなかったと思います。

 

私もまだ生きていくことができれば、共に行動していきたいと思います。

 

どうかよろしくお願いします。

 

伊藤淳