音楽と読書と社会 日記編

「音楽と読書と社会」イトウの活動など日記

【日記】2019年4月4日 風が吹けば身体が痛い

からだじゅうが痛い。

昨日のような強風だと特に痛い。特定の部位ではなくどこもかしこも。

漢方治療を始めて2年弱。治療中の身だ。

それまではいわゆる病院で処方される薬を飲んでいた。

20年近くも飲んでいても結果は出ないので治療法を変えた。

その影響で痛みが出ている。

 

痛いことをずっと言っていても痛みは変わらないので、少し違うことを書く。

 

面白く愉快なことだ。

人生は愉快でありたい。愉しく快い。これを極める。

 

 昨日も夕方まで寝込んでいて、17時過ぎにこのままでは死んでしまう!と思い、とにかく外出した。

もう外は暗くなりかけていた。

一体私はこれからどうするのか。どうなっていくのか。どうしたいのか。

 

もちろん欲求はどれだけでもある。しかし身体が動かない。仕事に行くことすら困難な日が続いている。

時間は日いちにちとなくなる。

道を歩くのも相当に難しい。10分歩いて電柱にもたれかかる。それでようやく地下鉄に乗り込む。

自分がいつも行く書店に向かった。

本当はニーチェの「権力への意志」を読んで買おうと思っていた。

 しかし、ふとした棚のコーナーを目にした。

 

倫理学

 

倫理学という学問はまあ分からなくはない。

しかし勝手なイメージしかない。

なにやら道徳やあるべき論を振りかざす机上の学問という感じ。

本当にわかる倫理学

本当にわかる倫理学

 

上の入門書を開いてみる。すると倫理学は道徳哲学でもあるという。

しかし、

ヘーゲルにとって倫理は道徳とは異なり、個人留まる道徳を超えた、『共同体の学』なのだ。」(本文11ページ)という。

倫理学は個人がどう生きるべきかを問うだけでなく、人間にとって善い社会とは何か、個人と社会の両方を考える必要がある。倫理とは『個人の道徳規範』であり、『共同体の倫理』である。」(同ページ)

倫理学は個人の問題にとどまらない。

たくさんの人が関わる社会性のある善いもの、こうありたい、あるべきというものはどういうものかを考えることと言ってもいいかもしれない。

 

ここで考えた。

人権や表現の自由と言われるものは憲法などの法律(完全義務と言われる守らねばならない絶対的な義務)で保証されている。

しかし法律で保証されていても、では法律で保証していなければ人が人として生きることを認められないのか。それでは住んでいる国によって人間として扱われる人とそうでない人が出てしまう。

これでは非常に困る。

 

ここには努力目標である「不完全義務」としての倫理が必要になる。

これはいわゆる社会においてこういうことをすべきだと言うくらいのもの。たとえ守らなくても罰せられることはない。

 

こうして考えると倫理とは完全義務と不完全義務の両方のバランスと区分が必要なのだと思える。

 

昨今のヘイトスピーチや他者への暴力行為について、この倫理学という手法で冷静にみることは必要だ。

なんにしても相互了承の価値観を求めて行く必要がある。

それなしでは私もあなたも生きることが難しくなるか蹂躙するされることにもなりかねない。

倫理学という古いようで、今必要な考え方。

もう少し倫理学については理解を深めたいと思うが、今日はここで限界。また日を新ためるとしよう。