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イトウの音と本の綴織

【日記】隠居生活事始め

気持ちよく過ごそう

先回、自宅の家具類所有物を処分した話をした。

おかげで心も落ち着いた。日々が気持ちよく過ごせるようになった。 よく眠れるし飯が美味い。家族や友人との会話が楽しい。

自分がやりたいことは何か?

ものを捨ててスッキリしたが、それで何がしたいのか?が大切である。

「日々落ち着いて楽に暮らす」ということが最も大切だと思う。

50年生きてきて、これが全くなかったことに最近気づいた。 なんてことない日常生活でさえ不満足な日々を過ごしていた。

数ヶ月ゴミを捨てながら考えた。「要するに、オレは何が不満なんだ?」と。

なんのことはない。食事が美味しく食べられること、よく眠って朝気持ちよく起きること、家族で笑いながら会話をすること。それが感じられないのだった。

このような当たり前の日常ができていない。 こんな当たり前なことができていないってちょっと恥ずかしい。

樺沢紫苑さんの動画(著書「ストレスフリー大全」がさらに詳しい。)


誰でも幸せになれる方法【精神科医・樺沢紫苑】

幸せの三段重とは

  • ドーパミン的幸福(社会的成功、金銭的幸福、ギャンブルで当たったときの嬉しさ)
  • オキシトシン的幸福(家族や友達、恋人との人間関係・コミュニケーションが良好)
  • セロトニン的幸福(朝起きて気持ちがいい、飯がうまい)

基礎にセロトニン的幸福があり、その上にオキシトシン的、ドーパミン的幸福が重箱のように積まれる。

この意味するところは、幸福になろう幸福を感じるためにはまずは

朝起きて「あーよく寝たなあ」と感じられること、ご飯を食べて「美味いなあ」と感じられることが大切だということ。

これができなければオキシトシン的幸福(良好な人間関係)を考えても実現できない。さらにセロトニン的、オキシトシン的幸福が感じられなければ、ドーパミン的幸福(社会的成功による幸福)は絶対に得られないということだ。

人間ともすればセロトニン的幸福を求めるあまりに、健康も人間関係も悪くしてしまうことが多いのではないだろうか。

私は20年ほど前に健康を害したことでこれは本当に辛い目にあった。朝起きて気分がよくない、両親との関係は最悪、これでは人生は仕事であろうとお金であろうと幸福を感じられなくなる。ゾンビのように仕事を頑張ろう!とか、みんなの為に頑張ります!とか言っても無理なのだ。

よく眠りよく食べる。(セロトニン的幸福)

それがあっての良好な人間関係(オキシトシン的幸福)

それらがあっての社会的な成功(ドーパミン的幸福)

さらにいうならば、ドーパミン的な幸福は考えなくても、セロトニン的幸福だけでも幸せになれるという事だ。

よく眠れる、食事が美味しいと感じる、これだけで人生は幸せなのだ。

幸せを感じているから隠居する

自分は健康を害した時点でセロトニン的幸福をそこなってしまった。

しかし、漢方治療が奏功して健康になりつつある。朝は気持ちよく起きられるし、ご飯は美味い。引越しや人間関係の整理をしたことで家族や友人にも恵まれるようになった。

起床時に叩き割れそうな激しい頭痛や、どれだけ眠っても徹夜したかのような虚脱感、食事をとると激しい下痢が止まらない、近い友人に悩みを打ち明けても無関心だったり、酷い偏見で見られる…これが10年以上続いた時のことからすればなんと幸福なのだろうか。

確かに今の私には社会的成功など望めない。ドーパミン的幸福はない。でもそれはなくても構わないのだ。

健康というものが幸福の原点なのに、私は全く疎かにしていたのだ。

だから、今はセロトニン的幸福を崩さない生活をしたい。仕事を犠牲にしても健康な楽な生活をする。楽な生活ができれば周囲の人たちと良好な人間関係を築ける。

社会的な成功など、余裕ができた後に考えればよろしい。

だから私は自分のセロトニン的幸福をまずは追求したい。それが私の隠居生活事始めである。