マーラー覚書その3 大学生の頃。
さあ、大学生の時代に入った。
この記事はすぐに終わる。
だって、合唱にハマってしまっていて特に2年次3年次は合唱劇に刺激を受けていたのでマーラーを聴くのもほとんどなかったくらい。
しかし、ここでも2つのマーラー生体験をしている。
一つは確か大学1年生の時、マイケル・ティルソン=トーマス(MTT)率いるロンドン交響楽団の名古屋公演。
プログラムはワーグナーのジークフリート牧歌とマーラーの交響曲第5番。
この時の音のクリアさと言ったら!!んもうイスラエルフィルの比ではない。
あれはバーンスタインがいたからこそなんだ。
ロンドン交響楽団は本当に上手かった。
マーラーの前プロのジークフリート牧歌のソフトな出だしは思わず鳥肌が立つほどだった。
もちろん、MTTのマーラーなんだから悪いわけがない。
これがオーケストラの音なんだと思うと一つの有機体のような一体感すら感じた。ピアノもフォルテもマスとして響く。
これもある意味衝撃だった。某名古屋のプロオケが同じホールで全然鳴らないので、ホールが悪いとばかり思っていたが、実は違った(苦笑)。
いまでは名古屋でMTT聴けるなんてもうなさそうなので、これまたいい経験をしました。
もう一つのマーラー体験。今度は演奏にまわる番だった。
あるアマオケの周年記念演奏会でマーラーの交響曲第2番「復活」やるというので、その合唱として参加をした。
当時ある一般合唱団に所属していて、そのアマオケから出演依頼があり、出ることになったのだ。
指揮者は小林研一郎。
そう炎のコバケン!
ここでは一流の指揮者がどうやってアマチュア音楽家たちを鼓舞して本番を頂点に持っていくかという、
ある種のカリスマを使ったその技、と言っていいのかテクニックと言っていいのか、とにかくコバケンはこの曲にはまさにぴったりで、あれだけのテンションが80分以上も続くというのがスゴイ。いまでも現役だがあのころ(25年程前)はもう凄まじいばかりだ。
70分も座って待っている合唱団がようやく立ち上がるタイミングを彼は
「不死鳥のように立ち上がる!!」
と言った。
文面で書くとなんか胡散臭くなってしまうのだが、あのリハの熱気を感じてしまうと思わず、自分があたかも火の鳥であるかのような錯覚を覚えてしまうから不思議だ。
演奏会はお客さんが沸きに沸いて大成功だったと思う。
しかし、私自身はバリトンからテノールに転向したばかりで、お世辞にも歌いこなせたとは言えなかった。
機会があればリベンジを図りたいとずーっと思っていたが、合唱団も辞め、別の道を歩み始めたためその望みもほとんど消えてしまっているが、
いまだにマーラーの復活を聴くと、
不死鳥のように!!
と叫ぶコバケンを思い出す。
というわけで、大学生の頃のマーラー体験はおしまい。