音を読む 本を聴く

イトウの音と本の綴織

積読本ってありますか?

読書が好きになったのは中学生の頃だから、読書歴は30年以上になる。ほぼ音楽鑑賞歴と同じ。

全然関係ないが合唱をしていたのが約20年。

中学高校は井上ひさしを中心として、日本の小説を中心に読んでいたと思う。

大学は学部の専門科目でもないのに社会学関係の書物をよく読んでいたような、でも最も乱読した時期だった。

大学新卒で働いていた10年間ぐらいは、変に仕事のスキルや能力をアップしたい気持ちがあって自己啓発本にハマっていた。

その時期何百冊か読んだ中でこれは!というのはコヴィー著「七つの習慣」とナポレオン・ヒル著「思考は現実化する」くらい。

病気してからしばらくは全く活字を受け付けず、テレビもダメ、音楽でモーツァルトなら気が安らぐという状態。それが約5年くらい。今は読書はOK。テレビは今でも嫌。

 

さて本題。

誰でもそうかどうかわかりませんが、読書していると、必ず積ん読本が出てきません?

本を読んでいくと、どんどん派生してあれも読みたい、これも読みたいとなっていって、収拾がつかなくなってくる。あるいは時として連続ものの本を全巻大人買いするとか。

かくして積読本が増える。

一冊一冊その都度書店で買ってきて読むっていうやり方はあまりしません。むしろ随時5〜10冊近い本を並行して読んで、また別に積読本があるという状態が私です。

昨年あたりから哲学の入門本や解説本を読んできたので、今年は原書(翻訳ですが)に当たっているのですが、哲学の本は一気読みできないし、論理構築を丹念に頭で考えないと訳が分からなくなる。

なので、まず理論的というよりは言葉に力のあるニーチェを読んでみているが、これが割といい線選んだなという感触。

まだツァラトゥストラの第1部を読み終えたばかりなので、なんとも言えないところもあるが、現代の世相にニーチェの思想から学とれるものは多分にあると思う。

 

しかし、ニーチェ本を結構買ってしまったが生きているうちに本当に読み終えることができるんか?

プラトンの「国家」「饗宴」も積読だし、ハードな本がかなり多い。

でもこれも読書の愉しみ。積読本眺めながら、この本読み終えたらどれ読もうかな〜とニヤニヤしているのが悦楽だったりする。

では今日はどれにするかな…。