音を読む 本を聴く

イトウの音と本の綴織

今後のこのブログについて

 

 ▶やりたいことはすべてやる!と年頭に考えたはいいが、からだもお金もついていかなかった。これは反省。こういうのはなんでもやってみないとわからないので、今年はつらかったけれどいい経験にはなったと思う。

▶と、今年も終える月になって、では今の自分は何がしたいのか?と思った。

 

▶一番したいのは読書

▶読書という習慣は、中学生の頃からあるにはあったが、しっかり読んだのは中高では井上ひさし中心に日本文学、浪人大学時代は坂口安吾くらいであとは本当に濫読で。社会人になったら病的なほど自己啓発本や精神世界本にハマった。

▶30代になって精神疾患が発症しだしてから、本への関心がほとんど薄れて、音楽の方へ興味が移って行った。と言うより、活字がほとんど読めないほど精神が摩耗していたと言った方が正しいだろう。

▶40代になって、軽い内容のものなら読書ができるようになってきた。読書論を濫読し始めたのもこの頃から。

▶やっとここ5年ほどから、哲学書を少しずつ読むことができるようになる。そもそも、歴史書や哲学書には抵抗はなかったので、読書の喜びは徐々に広がることになる。

▶4年ほど前にシェークスピアを読み始め、古典の素晴らしさに目覚める。さらに昨年、読みかけだったミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」を読み終え、世界文学のすごさに目覚める。

▶あらためて、古典的名作で読んでいないものをピックアップしたら和洋問わず、てんで読んでいないことに愕然とする。私の20代30代は読書に関しては「失われた20年」と言ってもいいかもしれない。

▶思い起こせば10代の頃はものすごく集中して読書していたように思う。同じ本を何度も読んでいたし、どんな本を読んでいたかよく覚えている。

▶さすがに40代になった今、同じ集中力は持ち得ないが、人間として多少の経験ができたので、その分内容理解への助けにはなっていると思う。特に人生の不条理さへの理解共感は10代の自分には無理があったと思う。

▶そうしてようやく、今に至るが、精神疾患を患っているので、昨日も死にそうなくらいにつらいことがあった。でも、そういう時があるからこそ、読書が生きると思う。つらい時こそ読書体験が慰めにもなるし、支えにもなる。

▶こうして今後は本と共に生きていくのだろうか。まあ、どこまで行けるかわからないが、行けるところまで行ってみよう。それがこのブログの今後の趣旨です。