【日記】2018年7月13日夜 「下手でも好き!」と言える人の熱量を感じろ!
▶︎高音質音楽ストリーミングサイトDeezerを自宅のオーディオで聴いている。
メインシステムにも接続しているが、これはダイニングテーブルの片隅に設置したオーディオ装置。
デジタルアンプにChromcastオーディオを光ケーブルでDeezerに接続。できる限りデジタルデータのまま再生してみた。
アンプの下はDVDプレーヤー。CDプレーヤーとして使っているので今回は関係なし。
▶︎ChromcastオーディオからDeezerを聴く。音質は確かにCD並みに良い。全ての音源が賄えるわけではないが、これでCDを買うことも少なくなるだろう。やはりアナログレコードだな!
▶︎数理的論理的な思考とは最近やたらと言われる。しかし内実単にビジネススキルとして言われることも多い。この本を読むと「生きること」そのものが「思考」であるということができるのかもしれない。
ウィトゲンシュタインはこう考えた-哲学的思考の全軌跡1912~1951 (講談社現代新書)
- 作者: 鬼界彰夫
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▶︎私としてはこっちから読んでみている。
私は元来学習(learning)全体が好きなのだが、一方で時間をかけたいことが多かった。ということもあり、高校数学で自分の学習速度が遅かったことが数学の認識を遅らせていると考えている。
▶︎数学ではなく計算レベルが下手なので、計算がしんどかった記憶がある。受験数学は筆算でしくじると正解できない。これは相当な苦痛だ。大人の今なら四則演算でも複雑なものはパソコンやスマホがやってくれる。私が必要なのは数学の概念と運用する知識と知恵だ。
▶︎話はそれるが、英語嫌い数学嫌いが老いも若きも多い。おそらく、それは学校なり親が無理やり勉強させた結果だと思う。落ち着いた空間と、シンプルな教科書、自由に発言できる 環境があれば勝手に学ぶ。
▶︎私は学ぶこと全体が好きだと言った。私は受験的に数学や英語は「下手くそ」だ。つまり「上手に」得点できない。だけど、それに何か問題ある?だ。
▶︎上記小島寛之さんの本の前書きに「数学でも『下手の横好き』ってあってもいいでしょ」と書いてある。つまり下手でも「好き」であることは構わない!というわけである。
▶︎小島さん自身は将棋は好きだがヘボだという。それでも対局は観るし、将棋を熱く語ることができるという。確かに。
▶︎いつから、「点数が取れるのが上手」=「好き」になってしまったのか。「下手だけど、大好き!」と思えるものことの方が本当は混じりっけのない情熱を傾けられると私は確信している。あ、結構いいこと書いてしまったので、ここの部分は有料として読んでください。
▶︎音楽についても、私は音楽が好きなのだが、一向に周囲の熱量が低い。みんなピアノを習ったり、指導経験もある人に出会ってきたけれど、なぜだかみんな自信なさげだ。▶︎おかしいぞ。私はピアノを習ったこともなく、楽譜は読むというより眺めて楽しむ方だ。長くやっていた合唱でも私は読譜能力は高くないので、結構みんなにバカにされた。でも、バカにした相手方をみると「オレは本当に音楽が好きなんだろうか」とか悩んでいる。おかしいだろ、いや可笑しい(滑稽)と表現した方がいい。
▶︎好き嫌いに理由はない。何が好きかくらい自分で決めろ!正直にそう思う。音楽に携わる人が概して音楽への熱量が低いのは、本気で自分が好きだ!と感じる前に目の前にはピアノがあったり、音楽環境が充実していたりすることがあるのかもしれない。
▶︎英才教育が有効なこともあろうが、物心つかない子供が全て一流の音楽家になるはずがない。子供が興味を持ってばやらせればいいのである。無理やりやっては逆効果なのは明らかなのだが、いまだに大人は是正せずピアノが弾ける音楽嫌いを量産し続ける。きっと某音楽教室のマーケティング戦略だな。そうだそうだ。
▶︎好き嫌いの判断の前にすでに「ピアノが弾けている」というのは、弾けない私からすると宝物を持っているのと等しい。下手でも両手がバラバラで動くから。しかし、彼らは往往にして大きな宝を持っているとは思っていない。
▶︎ピアノを弾けるけど、音大に行ったけど、演奏家になるわけでもなく、音楽に触れているわけでもない。そんな人が実はゴロゴロいるということがわかってきた。家でまで音楽を聴きたくない、という人までいてどんだけのメンタリティなのか疑ってしまうことも多い。
▶︎私は数学も英語も音楽も文章も「下手」かもしれないが「好き」である。人間づきあいも「下手」かもしれないが「好き」である。それに何か文句あるか?
▶︎「下手の横好き」「好きこそものの上手なれ」どちらでもいい。とにかく「好き」なものに他人の尺度を入れるな!自分基準で良いのである。これは間違いない。