音楽と読書と社会 日記編

「音楽と読書と社会」イトウの活動など日記

【日記】【読書】2018年12月12日 いやな気分よさようなら

 

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

 

 自分も少なからず「認知の歪み」がある。

だからうつ病になったし、うつ病になることで「認知の歪み」に拍車がかかった。

私の場合はかなりの難治性なので、西洋薬物のみでは無理だったので、東洋医学的な漢方療法と認知療法を取り入れている。

認知療法でもっとも参考になったのはこの本である。

コンパクト版とはいえ400ページ以上あるからそこそこ大部である。

日本の社会に思考や感情の余裕がなくなっている気がするので、むしろ病識のない人にすすめたい。

認知の歪みの定義

1.全か無か思考

2.一般化のしすぎ

3.心のフィルター

4.マイナス化思考

5.結論の飛躍

6.拡大解釈(破滅化)と過小評価

7.感情的決めつけ

8.すべき思考

9.レッテル貼り

10.個人化

(本文35ページより)

 こういったことが多すぎる。

ここをつぶさに読むと日本は本当にPTSDになっているように思える。

【日記】2018年12月11日 Chromebookを使ってみる。

数年前からChromebookなるものを使ってみようと思っていた。

 やっと先日購入してみた。

 Amazonで購入。

価格が激しく変動する商品らしく、私が購入したときは3万1千円ほどだったが今日は3万5千円になったいた。安いときは2万円台になる。それでも大体3万円くらいで購入可能なので買いやすい価格である。

OSはWindowsでもMacでもなく、LinuxベースのChromeOSというものらしい。

GoogleのブラウザChrome上ですべて動作する。だからGoogleが嫌な人、アカウントを持っていない人は使えない。

細かいことは検索すればわかると思うので割愛すなるが参考リンク先は以下

www.nekosato.com

私のように文書と音楽ストリーミングとYouTube動画を見る程度であれば、Chromebookは最適。音楽については私はAppleMusicなのでChromebookでは聴けない。それはMaciOSで対応する。

 

MacBook ProiPad Proも持っているし、それはそれで使用しているが、Apple製品は高価ゆえに道具感覚で使いづらい。

 

重い動画や音楽を再生したり、プログラミングの勉強するときは便利なのだが、そんなに頻度としては多くない。

文章を書くだけで立ち上がりが速く、入力が軽くできるデバイスが前から欲しかったのである。

ポメラとか昔だとモバイルギアというのがあったけど、モバイルギアのような文章作成などのシンプルな使い方に特化したものが必要。スマホで文書を書いていたが、流石に長文を書いていると非常に疲れる。

モバイルギア - Wikipedia

 

Chromebookはネットに接続していることが前提になる。今は自宅にはWi-Fiはあるし、外でならスタバやコメダならWi-Fiがあるし、それほど不便はないだろう。

Googleドライブなどクラウドに即時保存できるから、作成したファイルをPC内保存する必要がない。

プリンタに直接データを飛ばして印刷やりにくいという話も聞くが、最近はそのままGoogleドライブに保存してiPadで閲覧するかiPhoneで見るかなので、特別に紙ベースで見る必要もなくなった。

画面はMacRetinaディスプレイとはちがう。それほど発色は良くない。

ディスプレイにコストがかかっていないから当たり前。画面はあくまで視認性がそこそこであれば良し、である。こういう部分は私は妥協できる。

もちろんYouTubeなど動画を大画面のディスプレイで高音質で観たいときはある。そういうときはChromecastで見ている。

Chromebookの何が一番いいかというとキータッチである。適度なストロークがあり軽いところ。これが意外と疲れない。とはいえ長時間打っていると目がつかれるから程々に。

だからこれでいいんじゃないか?

日本で普及しないのが不思議なくらい使いやすいデバイスだと思う。

 

 

もう一台もう少しコンパクトなモバギくらいに軽いものがあればもう一台ほしい…キリがない…。

【コンサート】 ライブ「おっさん姉妹のおかしなコンサート」(横浜)へ行ってきた

おっさん姉妹のおかしなコンサート〜「おっさん姉妹」がやって来る!〜

2018年12月8日(土)タンゴの家(三田塾ホール)横浜

 

体調が相変わらず低空飛行。

 ずいぶんマシになったけど、右腕の痛みが完全に取れない。治療中なので仕方ないが、からだが痛いと物事に集中できない。読書も集中できないので困ったものだよ。

 

 今回はワークショップとライブコンサートの目的で行きたかったので、多少は無理してでも行く。正直途中で力尽きるかと思ったが、妻のサポートもあってなんとか保った。結構崖っぷちで生きてます(笑)。

 

 今回のコンサートはキーボード奏者の鈴木潤さんと打楽器奏者の片岡祐介さんのピアノデュオ「おっさん姉妹」のコンサート。

YouTubeに動画があったのでここに貼り付けておきます。


おっさん姉妹(鈴木潤+片岡祐介)連弾 

マイレゲエという曲。

コンサートでもやりましたが、本当に素敵でした。

 

 名前の由来は「ラベック姉妹」だそうです。中学時代に私はラベック姉妹のポスターを部屋に貼っていました。そもそも「おっさん」が「姉妹」というのが名前破綻している(笑)そこがいい。

 片岡さんとはYouTubeライブ動画で何度かチャットでやりとりしたり、Facebookで友達になったりと交流をさせていただいていた。今回やっと生演奏を聴き、ご本人に挨拶できた。

 鈴木さんとは交流なく初めてお会いした。京都在住だそうで、少しまえにコスメショップのBGMを作曲して、今回もその曲集の中からも演奏してくれた。ヒゲと帽子が似合う優しい曲をつくる方でした。

 実は片岡さんと私は同い年で、同じ時期に名古屋の市立高校に通っていた。

 片岡さんは音楽科のある高校で、私は名古屋の端っこの高校で、同じ名古屋でもコンサバ地域か水田地帯かというくらいに地域差がある。(しかし私の高校は空港が最も近い高校として名高いのだよ。自慢です!)

 高校当時は私は合唱部でぶいぶい言わせており(嘘です)、片岡さんとは市立高校の音楽祭やイベントでニアミスをしている可能性もある。

 さらに片岡さんは名古屋の伝説のホール、スタジオルンデに出演したこともあるそう。

 ルンデは私の高校の先輩の勤務先だったし、大学生になってからよくアルバイトさせてもらったので、片岡さんとは遠からぬ縁を感じたりもする。

 

 (わからない人が多い地元ネタを展開してしまってご容赦ください。)

 

 コンサートに先立って、クローズドのワークショップがあった。地元の親子中心の音楽ワークショップで、私達夫婦はゲストという形で参加した。

 内容は主に打楽器としての手拍子(ボディパーカッションもふくむ)を使ったゲーム遊びやみんなで歌詞をつくりながら1つ歌を作るというものだった。(ほかハンガーを使った自分にしか聴こえない楽器体験とか、あまりに面白すぎることが多すぎて全て書けない)

 こうやって言葉にするとまるで面白く書けないが、本当に面白かった。拍手が楽器というのは理屈では「確かにそうだな」とわかってはいるつもりだったが、実際にやってみると人の手の表現の幅広さと深さは半端ではない。ボディをなめたらあかんよ。

 みんなで作曲をするというのも、ものすごく面白かった。ナンセンスな歌詞になりがちだけど、どこか意味深長にも読めるし、その歌詞につける音楽も雰囲気がなんとなく不思議で可笑しい。

 

 話は逸れるが、私の大学生の頃、一般教養の講義で自動作曲法というのがあった。

 歌詞はないが、2小節くらいの旋律を適当に6個作って、サイコロを振った目で小節の旋律ができていくというものだった。

 私はジョン・ケージの音楽のもとになったチャンスオペレーションぽいし、面白いなと感じたが、音楽科の学生には非常にウケが悪かったのを記憶している。なんでも「こんな機械的にやることなんて音楽じゃない」というのだ。ふーん、そうなのかなあと思っていたけど。

 この自動作曲のやり方と、今回のワークショップでの即興的に歌詞と音楽を作るのが少し似ているような気がした。

 

閑話休題

 ワークショップの後にコンサート。

 セットリストを見たものではなく私の適当な記憶で書いているので思い違いがあるかもしれません。ご容赦ください。

 最初にお二人のソロで1曲ずつ。片岡さんは林光のピアノ曲集「もどってきた日付」より「ものがたり」という曲を、鈴木さんはご自身のオリジナル曲をそれぞれ演奏した。

 本当に面白いなぁと思ったのは、芸風の差。

 片岡さんは打楽器奏者というのがよくわかるガシガシ弾く感じ。鈴木さんは鍵盤の流れる感じ。あえて差をつけて演奏しているだろうと思うけど、やはり個性的ですね。

 そのあとはデュオで野村誠さんの現代曲や即興性のあるオリジナル曲中心に演奏された。

 取り上げるジャンルを有り体に言えばフリージャンル。だからジャンルにこだわるのではなく、根本的に音楽は面白い、楽しくてナンボという選曲と気持ちが伝わってくる。

 特に決めごとをあえて作らない、即興性というのをとても大切に演奏しているのがわかり聴いていて精神が開放された気分になった。

 ところで、コンサートのはじめに

ちいさな子供達が会場にたくさんいたことをふまえて、片岡さんからこのように言われた。

お子さんが騒いでも叫んでも全く構わないし、他のお客さんも子供の声を騒音として聞かないでほしい。

映画を見ているときの効果音のように聞いていると音楽と馴染んで気にならなくなりますよ

 と。

 確かに演奏者がこのようにコメントされてコンサートを聴いていると、不思議なことに子供の声も音楽の一部になって気にならなくなる。

 この体験はコンサートの大きな発見の一つだった。「子供の出す騒音を大目に見る」という寛容さを喚起させるものではない。私達は「子供の出す声すら音はすべて音楽だ」と感じることができる!と気付かされた。

 後半に行くと、5万曲のレパートリーの中から曲を披露するコーナー(?)。どんな曲名でもかならずあるので、リクエストしてほしいということで、思わず私は「とろサーモン」という曲をリクエストしてみた。

 すごい曲だった。とろサーモンという曲はこんなに懐かしくてファンキーで抱腹絶倒なものだったのは知らなかった!(笑)

 帰宅して娘にその話をしたら、「とろサーモンて芸人コンビだよ…」と言われた。しまった、被ったか?!

それもただ今、絶賛炎上中なんだ。私はテレビを観ないので迂闊であった!!

asajo.jp

その後、5万曲のレパートリーから数曲披露される。傑作揃いだったが、2度とリクエストしないでくださいとのこと。要は即興で作っているということではないかと。

 そのあと実はほとんど覚えていない。

 

あまりに面白くて腹を抱えて笑いながら聴いていたので、本当に忘れてしまった。からだも痛いのを忘れて笑うから笑いながらイタタタ…。

 

 今まで音楽を聴いたり自分で演奏したりしてきたが、今回のコンサートは心が開放されて本当に気持ちが良かった。

 こういった体験は他にあったっけ?と思い返すと、意外と思い出せない。

 これは音楽の力なのだろう。お二人の才能もあると思うが、それと同等かそれ以上に私達ひとりひとりにも「感じる力」があるということだ。

 こんなことを書いていると隣で聴いていた妻がこう言いそうだ。

「あなた、ただゲラゲラ笑っていただけじゃないのー。それもこれまでにないくらい笑い転げていたよー。」

 確かにそれは否定できない。なんにしても音楽が楽しいということは間違いないのだ。

 

(終わり)

 

  

【日記】2018年12月7日 3日間寝込む。

 12月に入り、今年こそ健康に過ごすぞ!と気合を入れるものの、3日間体調が悪く、寝込んでいた。

 万難を期してストイックに過ごしていても結局は寝込んで動けなくなるので、もはや計画的人生は無理である。 

 健常な人には想像できないかもしれないが、今日の1時間後さえも予測できないのが私の人生である。流動的かつ先は見えない。これで10年先を見据えたことを考えろ、と言われても無理な話である。

 老齢年金などまるで期待できない。定年退職もない。

 でも1、2年前より今年の12月のほうがマシな部分は多い。多少は動けるようになった。眠れるようになった。痩せてからだが軽くなった。そんな喜びである。

 「人生」ということばを最近よく使うようになった。フッ日和ったな?と自認している。でも50歳くらいなら、自分のことばかりを追い求めるのではなくて、もう世の中のことやみんなのことを考えてもいいと思う。

 もちろ自分の欲を満たすこともやるけど、それだけじゃ、昔見たバブル時代の金満親父の思考だ。あれだけカネカネ言っていた連中はいまでも拝金主義のままなのだろうか。カネもいいけど、ほかに人格や知性を備えないと危険だと思うけどな。

 拝金主義の思考になると目の前の人のことが疎かになるし、リアルな人をみても尊重しなくなるかもしれない。

 こんな調子なので年末年始の予定も立てない。むしろ予定などいっさいなく、体調だけで日々決めていこうと思う。

 だって仕事を行こうとしても体が寝込むんだから、即興で生きるのがわたしにはベターな選択だ。

 明日は横浜へ行く。ぷらっとこだまでのグリーン席でライブに参加。本当に楽しみだ。

【日記】2018年11月28日 風邪回復 電子オルガンはシンセサイザーである

 

しないことリスト (だいわ文庫)

しないことリスト (だいわ文庫)

 

  1週間以上患っていた風邪がやっと回復してきた。

 今回は本当にひどい風邪で、咳と痰が激しく出て苦しい思いをした。妻も歯痛で腫れてしまって、区切りにしては華々しくもなんともない。そんな誕生日と結婚記念日になった。

 しかし喉元過ぎれば熱さ忘れる。

 20代の頃に2回ほど受験して落ちた行政書士試験を来年受け直そうと思って勉強し始めた。

 以前は法律のことなどちんぷんかんぷんでなぜ受験したか不明だ。もう20年以上経つので、法律を一通り勉強し直してみることにした。

 資格試験はあまり乗り気でないタチだが、1年くらいやれば法律の勉強になると思ったのでやってみる。合否は追求せんでね。

 資格の合否よりもむしろ勉強は社会に出て応用することが最も大切だと思う。

 

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

 

  ニートで働きたくないphaさんの本。大まかに読んでみたが、ほぼ内容は同意できるものだ。

 刺激が多すぎる今の社会ではある程度の情報刺激を断絶した方がいい。そのほうが集中して物事が取り組める。

 あえて考えない、何もしない、という状況を作るのもいい発想だ。実は私も病気がひどい時は無音の状態にあえてしたものだ。少し調子が良くなってモーツァルトが聴けるようになった時の体験は忘れない。

 

 閑話休題

 昨日、名古屋音楽大学主催の電子オルガン科のコンサートに行ってきた。聴いてみたら、電子オルガンというよりはシンセサイザーと言った方が誤解がないと感じた。

 今どきの電子オルガンは非常に多彩な音が出る。

 オーケストラやジャズトリオ、ロックバンド、なんでもござれだ。喜多郎系や小室哲哉系、ジャズ系、クラシック系とジャンルを問わない。

 ただ、どんな音でも出るからか、かえって安直な音楽になってしまう嫌いもあった。クラシックのオーケストラの曲を電子オルガンに編曲して数曲演奏していた。

 確かにオケらしい音は出ていたが、どこか軽くてチープな感じが否めなかった。

 チープな感じも利用すれば面白いアレンジになる(ゲルニカでの上野耕路がよくやる)のも確かだが、今回はオケの音をそのままなぞるアレンジだった。それではシンセサイザーを使う意味があるのだろうか。そう感じて途中で退出してしまった。

 高望みと言われるかもしれないが、冨田勲のようなアレンジができないものだろうか。

 

 

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