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イトウの音と本の綴織

【日記】2018年8月1日朝 諸富祥彦「本当の大人」になるための心理学

▶︎中高年にはぜひ読んでみてほしい本。

 

 自分自身を含め、大人としての成熟は果たしてできているのか?という問いを持っていた。それにヒントを与える本。

▶︎中高齢者がクレーマーになったり、突然公共の場でキレたりする光景を最近見かける。私が子供の頃は中高齢者はもう少しゆとりを持って人にやんわり注意していた気がしたが、私を含めた最近の中高齢者はひょっとしてまだ未熟な人が多いんじゃないか、となんとなく思っていた。

▶︎それは「若さ」「経済的社会的成功」を望むあまり、自分自身の内面や物事の本質を冷静に見つめられない未熟な大人が増えているというのが本書の視点である。

▶︎ここには大人が持つべき六つの人生哲学があげられる。紹介してみよう。

①人はわかってくれないものである

②人生は、思い通りにはならないものである

③人はわかりあえないものである

④人間は本来一人である

⑤私は私として、あなたはあなたのことをする

⑥仲間から孤立し一人になってもやっていけないことはない

▶︎各内容は読んでいただくことをおすすめするが、これの前提にあるのが「人に理解してもらえなくても、自分には価値がある」とわかっていることである。

▶︎ぶっちゃけ自分にはどう転んでも生きている価値がある、と思える大人がどれだけいるか。自分を含めて、あらゆる人間はどんな形であれ生きている価値はあるという境地に私は達している。それは随分長い道のりをかけて、ここ数年でたどり着いた境地だ。

▶︎また、「経済的社会的成功」を水平のベクトルとし、「魂や内面を見つめ掘り下げること」を垂直のベクトルとする。それぞれに「魂の空虚な成功者」と「魂の満たされた不成功者」と定義して、この二つは時として人間に「あれかこれか」と選択を迫ってくるときがあると言う。

▶︎この時にそれなら「魂の満たされた成功者」を目指したいとおもうかもしれない。しかしそれは残念ながら現実には不可能だ。なぜなら個人の内面を充実させることと、社会的成功(他者評価)が一致することは滅多にないからだ。他人評価を高めようとすれば、自分の本来の欲求やゆとりは後退する。どっちも追求するのは結局どっちも得られず、時間を費やし、死が訪れる。まさにthe end。

▶︎若い時は「あれもこれも」とチャレンジするのは良いことだ。しかし、人生が後半に入ってきた自覚を持つと、「あれかこれか」になる。つまり時間は有限であり自分の欲求を全て満たす時間はないという現実を直視できるようになる。

▶︎私もなんでもかんでもやりたがった時があった。20代の頃は相当欲張りであったし、あらゆることに挑戦した。それはそれで悪いことではないと今でも思う。

▶︎30代で病気になり、その体験を通して内面を見つめる機会を得た。そこから自分が本当にすべきことやりたいことを集中してやること、そのほかのことは極限まで捨て去ることをせざるを得なくなった。

▶︎しかし、それは正しい選択だと思った。なんせあと遅かれ早かれ数十年で私は必ず死ぬ。その中でやれることは限られている。人間の致死率は100%である。これは紛れもない現実である。有限の時間に費やすのにいちいち他人の顔色を窺っている暇などない。自分がすべき、したいことは他人がどう言おうと関係なくやればいいのである。それをわきまえることができるようになっていくのが「人間としての成熟」であろう。

▶︎これは単に諦めではなく、死ぬまでにできることは限られているということをしっかり受け止める本来の現実主義、リアリズムである。実際そう考えて過ごすと、本当に時間がない。焦っているのとは違う、リアルに時間はないという自覚である。

▶︎著者はうつになることはある意味があるとも言っている。広汎なのでここには書ききれないが、うつになることは人生の落伍ではなく自分の内面を見つめる重要な機会であると捉える。また時には本気で何かに没頭すればうつになったり、体に負荷をかけることはあることなので、そのくらい人間は本気になって生きる時があったほうがいいのだともいう。私としてはむしろうつや体が壊れるくらい自分が没頭できることがあることは喜ばしいと言えると思う。これは前述の「魂の満たされた不成功者」である。

▶︎うつになり体を壊してしまったら社会的経済的成功は難しいし、中高年になれば、潔く捨て去ることをした方がいいのであろう。しかし幸いにも捨てて得られたチャンスは内面の成熟した人、つまり本当に大人になれる道である。

▶︎この高度に発達した資本主義社会ではなんでも商品化されお金で買えるものが多い。まあそれは良いことでもあるが、逆にお金で買えないものが厳然としてあることが明確になってきたとも言える。

 

お金で買えないもの。それはまさに人間としての成熟であると思う。人生がお金で買えたらそれこそ人間は自分の生き様をお金というモノに変えてしまうことになる。

そこには意味はあるのだろうか。あるわけがない。