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イトウの音と本の綴織

【日記】2019年3月26日 memento mori 遺言的に

かれこれ20年近く病気と戦い続けている。

 

これまで様々な治療を試してきた。金銭的なことも考えつつもできることは全て試してきた。

セカンドオピニオンも受けた。頭痛がひどければ脳ドックにも行き精密検査を受けたこともある。薬の投与で体重が一時期15キロ増えた。藁をも掴む思いでスピリチュアルヒーリングなるものを受けたこともある。

 

極度の不眠と頭痛、腹痛に始まった症状。

今まで受診した医師たちはこの疾患の原因の特定すらできていない。

単なる薬の投与では何も変化はないのに、それを無視して機械的な投薬が続いている。医師は患者に対して治療はしない。何にも責任を持っていない。無能だとも思えた。しかしそれが現実だった。

 

自分なりに病気の原因は認識している。原因は一つだけではなく複合的にある。

大きなものとして親子関係と子供の頃から周囲より受け続けてきた精神的な暴力によるものだ。私はこれが重大だと考えている。

 

人間は緊張と抑圧のなかで生きていると、体を緩ませることや好きなことができなくなる。リラックスして心を解放ができなくなる。そして次第に身体も心も病んでいく。

24時間緊張状態が習慣になっているのだから自ずとそうなる。病理学を考えなくてもわかることだ。

 

それについて医師たちは誰も認めない。

そんな子供の頃のことを言っても仕方がない、昔は誰でも同じことをされたと。

 

 

 

試行錯誤の末、今は治療法を変え漢方治療を中心に行なっている。

これによりかなり前向きな変化が出ている。治癒・寛解にはまだ遠い感じがするが、それでも体に変化が出ているのでかなりマシだ。

細かな処方プランは書けないが、痛みが出ることについて私は納得している。

最近カウンセリングも必要ではないか思い始めているが、医師同様カウンセラーも玉石混淆だ。慎重に選ぶべきだろう。

 

ただ今の問題として副反応だとはわかっているものの、治療過程での体の痛みがひどい。

 

昨年末からは痛みのために立つことすら難しい日々が続く。

しかしそれより前は1ヶ月寝たきりになることが度々あった。その時よりはいまは体は動くのでずっとマシである。

 


命は長くない、もうすぐ死ぬかもなぁと私は感じている。

もう子供の頃からあったこの感覚が日増しに強くなってきた。

 

先日診療先でその私の認識そのものをズバリ言われた。
実際に命が危ないと。

 

自分が感じていることが現実なのか。

 

memento mori

 

昨年も人の死に直面して痛感した。

死んでしまった人をどんなに弔っても、どんなに恨んでも、相手には届かない。

ましてや会話などできない。時すでに遅しである。

 

もちろん死んであの世で会えるかどうかは個々の信仰の話だが、私は人との付き合いは現世が全てだと思っている。

 

人が死んだ後はその人に何も伝えられないし話もできない。なんらかの供養をするにしてもそれは生きている残された人たちの自己満足に過ぎない。

だから、生きているうちに会って話したり、手紙やEメールでコミュニケーションを取ることが最も大切だと私は思う。

 

コミュニケーションを蔑ろにしている人たちがたくさんいるので、ここで一言申し上げたい。

私を含めた目の前で生きている人と会話、コミュニケーションをして欲しい。

多くの人が目の前の人と話をせずに立場や肩書きを見て話をしている。ひとりの人間に対してではなく。

 

あるいは存在すら無視をする。誰もいないかのように振る舞う。

リアル・ネット上と関係なく、私とコミュニケーションしてきた皆さんには心より感謝したい。ありがとうございます。

 

一方で私を無視したり忌避してきた人たちへ。

私の葬儀に来ても涙を流して欲しくないし、香典もくれなくていい。

そんな偽善的な涙や形だけのやり取りなど私が最も嫌うことであると強調する。

本当に涙を流すのであれば、生きている私と心からの会話してくれた友達だけでいい。

 

だから、

どんなに昔からの知り合いであろうとも肉親であろうとも、私の存在を無視した人、蹂躙した人、関心のない人は私の葬儀には決して来ないで欲しい。

どんな人でもこの世からいついなくなるかわからない。

このことをよく考えたい。

 

memento mori

 

死をおもえ。

 

生きているこの時だけが全てだと思うのです。死んだ後は本当にわからない。

死を考えれば、生きることの本当の意味が理解できる。

そう思えばこの世界で感じる全てのことが価値のあるありがたいことかもしれない。痛みを含めて。

 

 

 

 

私はただ生きたい。

 

だから時間を無駄にしない。

願わくば、これを読んだ人が人生時間を大切にされんことを。

 

もう少し生き続けて、この記事が「死ぬ死ぬ詐欺」として笑いネタにしてなれば、いいなあ。