音を読む 本を聴く

イトウの音と本の綴織

【日記】希望を忘れず、未来を創る。

1月末から2ヶ月近く、寝込んでいる。 体調が悪いどころではない。 身体の痛み、胃腸の不調、精神的抑圧、経済的抑圧、人格攻撃。

複雑に絡み合っていて紐を解くことが困難極まりない。

この状態が少なくとも20年続いている。 あまり自覚していなかったが、そもそもが生まれたときからこの苦しみが始まっていた。 そのことをやっと最近になって気がついた。

苦しみはその渦中にいるときは気づきにくい。

基本的にこの社会の構造はハラスメントだ。 そのことに気づかせてくれたのは本條晴一郎氏、安冨歩氏の共著書「ハラスメントは連鎖する」

ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書)

ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書)

とても精緻にハラスメントの構造を明らかにしている。 この本を読んで、自分が他人からされてきたことの99%以上がハラスメントだったということに気づき驚いた。

気づくと恐ろしいもので、善意や好意を装ったハラスメントが当然に行われているのがこの社会だとあらゆるところで実感する毎日だ。

そもそもがこんな暴力的な構造の社会で何もなく生きていける方が異常だと思うくらい。

家庭、学校、職場、果ては趣味のサークル活動ですらハラスメント構造がある。 そしてほとんどの人がそのシステムに取り込まれている。 そのシステムの中でハラスメントされている人がさらにハラスメントを連鎖させている。

このままハラスメントシステムに取り込まれたままでは誰も幸せになれない。 社会が暴走している現状を見ると私はそう感じる。

詳しくは上の本を読んでほしい。少し難しい部分もあるが、得られることはそれ以上だと私は確信している。

以下、私が考え行動すること。

ハラスメントをして人を傷つけていると知ったならば、その人に謝ろう。そしてもうしないと心に決めよう。 傷つけられたら、相手に傷つけられたその事実を言って嫌だと怒ろう。

そして、今、自分が感じているものを大切にして、望む未来を創ろう。

世の中は想像以上に残酷である。知れば知るほど絶望を深める。 しかし絶望があっても、いや絶望があるからこそ、私は今から理想の未来を創ることができる。そう信じる。

どんなに過去が残酷であっても現在から未来はわからない。 ならば自分が望む自分、望む世界をはっきり言葉で言おう。文章で書こう。

「夜と霧」の著者、V.E.フランクルの以下の本を読み直したい。

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

過酷な人生を送っている自分自身を含めたすべての人にエールを。

【日記】2019年1月3日 今年やろうと思うこと。

今年やろうと思うこと。

  •  簿記、行政書士Pythonの勉強(会計、法律、コンピュータプログラミングの勉強)
  • いろいろな人に会いに行く
  • いろいろな音楽を演奏し、聴き、応援する。
  • 読書する。

地味ですね!

すべて今までやってきたことであり、もっと進めたいと思う。

派手なものは幾分疲れるので悪くはない。

解脱寸前 究極の悟りへの道 (幻冬舎新書)

解脱寸前 究極の悟りへの道 (幻冬舎新書)

 

小池龍之介さんの本を読んでいる。

感覚や魂が研ぎ澄まされていくとはこういうことなのか、とヒントを得られることが多い。

 

今年もよろしく。

 

 

 

【日記】2018年12月16日 寒くて動きづらい

 昨日漢方処方日。昨年7月より病気治療に漢方処方を取り入れている。個人的にはかなり効果的と思っている。

 あまりに効果が出すぎてまだまだ大変なこともある。(なかなか文面では体感を表現できないのでもどかしい)

 薬剤師さんの言うにはここ2週間の季節の急激な変化によって、身体が固まっている人が多く出てきているとのこと。

 私もご多分にもれない。2週間の体調が本当に酷いもので、通勤も無理やり行っていた部分が多い。

 無理はしないできないので欠勤していた。

 ただ惰眠を貪るのも虚しいのでPythonの勉強をし始めた。エネルギーが少しあるときは詩の音読。絵を書く。横になりながら音楽を聴く。

 本当に申し訳ないくらい金が無い(酒飲みやギャンブルなどの余裕はもちろんない)。

 しかし虚勢は張る。読書をし学び続ける。他人の言葉も受け止めよう。

 

 

人と対話すること。そして物事を素朴な問いから始めること。

決して難しいことではない。ただ、人はどうしても他人の考えを拒絶することをしがちだ。

「理解する」のではなく「受け止める」

相手を理解するということが先に立つと意外に聞けず、理解できなければ、意識的か否かにかかわらず、拒絶ないし無視することに繋がりやすい。だから「聞く」ことを、理解することから切り離したほうがいい。

 むしろ重要なのは、ただ「受け止める」ことだ。そのさい「受け入れる」必要はない。受け入れれば拒絶したくなるかもしれない。あるいは、受け入れてしまうと、わかった気になったり、相手の距離がとれずに一体化してしまったりするかもしれない。いずれの状態も「聞く」こと、ただ「受け止める」ことの妨げになりかねない。

(梶谷真司「考えるとはどういうことか」169頁〜170頁より)

この部分は非常に示唆を与えてくれる文章だと思う。

 「理解する」という軸ではどうしても「理解できない」ことに対しての反応はどうしても拒絶になりがちだ。

 そうではなく、他人の発言をただ「聞く」「受け止める」という態度で行こうということだ。決して「受け入れ」なくてもいい。「受け入れる」には理解することにつながる。

 具体的いう。

 お風呂に毎日入らないと生理的に気分が悪いひとがいるとする。そういう感覚を持った人からすれば、週に1回しか風呂に入らない人は到底理解できないに違いない。

 しかし、ここで理解する必要はない。週1入浴の人はそういう習慣を持つ人として「受け止める」だけでいい。だって毎日風呂に入らないと落ち着かない人が週1入浴を受け入れられるはずがない。

 そういう人もいるんだな、とただ「聞く」だけでいいのだ。そこに理解することはない。ましてや清潔不潔というような価値判断をすることも全くしなくていい。

 人間はともすると人の考えていることやあり方を理解しようとしがちだ。しかし、まずは理解や判断をせず「聞く」「受け止める」ことを意図的にする必要もあると私は思う。

 

【日記】2018年11月28日 風邪回復 電子オルガンはシンセサイザーである

 

しないことリスト (だいわ文庫)

しないことリスト (だいわ文庫)

 

  1週間以上患っていた風邪がやっと回復してきた。

 今回は本当にひどい風邪で、咳と痰が激しく出て苦しい思いをした。妻も歯痛で腫れてしまって、区切りにしては華々しくもなんともない。そんな誕生日と結婚記念日になった。

 しかし喉元過ぎれば熱さ忘れる。

 20代の頃に2回ほど受験して落ちた行政書士試験を来年受け直そうと思って勉強し始めた。

 以前は法律のことなどちんぷんかんぷんでなぜ受験したか不明だ。もう20年以上経つので、法律を一通り勉強し直してみることにした。

 資格試験はあまり乗り気でないタチだが、1年くらいやれば法律の勉強になると思ったのでやってみる。合否は追求せんでね。

 資格の合否よりもむしろ勉強は社会に出て応用することが最も大切だと思う。

 

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

 

  ニートで働きたくないphaさんの本。大まかに読んでみたが、ほぼ内容は同意できるものだ。

 刺激が多すぎる今の社会ではある程度の情報刺激を断絶した方がいい。そのほうが集中して物事が取り組める。

 あえて考えない、何もしない、という状況を作るのもいい発想だ。実は私も病気がひどい時は無音の状態にあえてしたものだ。少し調子が良くなってモーツァルトが聴けるようになった時の体験は忘れない。

 

 閑話休題

 昨日、名古屋音楽大学主催の電子オルガン科のコンサートに行ってきた。聴いてみたら、電子オルガンというよりはシンセサイザーと言った方が誤解がないと感じた。

 今どきの電子オルガンは非常に多彩な音が出る。

 オーケストラやジャズトリオ、ロックバンド、なんでもござれだ。喜多郎系や小室哲哉系、ジャズ系、クラシック系とジャンルを問わない。

 ただ、どんな音でも出るからか、かえって安直な音楽になってしまう嫌いもあった。クラシックのオーケストラの曲を電子オルガンに編曲して数曲演奏していた。

 確かにオケらしい音は出ていたが、どこか軽くてチープな感じが否めなかった。

 チープな感じも利用すれば面白いアレンジになる(ゲルニカでの上野耕路がよくやる)のも確かだが、今回はオケの音をそのままなぞるアレンジだった。それではシンセサイザーを使う意味があるのだろうか。そう感じて途中で退出してしまった。

 高望みと言われるかもしれないが、冨田勲のようなアレンジができないものだろうか。

 

 

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【日記】【読書】私の本の買い方(娯楽本以外)

▶︎風邪引いた。昨日から喉が痛くなり、肩や首、関節痛も出てきて、今朝は起床したもの、声を出すのも辛いので仕事は休んだ。

疾患持ちが風邪を引いたり、他の病気になると、「弱り目に祟り目」なのだ。

note.mu

▶︎今日は「本の買い方」について書いた。(ただし娯楽本はメインに考えない。)

 私は現在は本は図書館では借りず、購入している。今は金銭的にゆとりがあるわけではないので、無闇矢鱈に購入できない。とは言え、他はギリギリまで切り詰めても本は買う。

そのことをnoteで書いたので読んでみてください。

本当に書籍代は最大限にしたい。