音楽と読書と社会 日記編

「音楽と読書と社会」イトウの活動など日記

【日記】2018年7月10日朝

▶︎おはようございます。からだの痛みが緩和したのでとりあえず会社へ出勤することにする。気づいたら今日は通院日。めんどくさい。

▶︎昨日、AbemaTVに東松山市長選に出馬して7千票余を獲得した安冨歩氏が出演してその心を語っておられた。

▶︎子どもを守る、懐かしい未来をつくる。シンプルでありながら理路整然とした語りに私は今までの選挙のあり方(選挙街宣やアジテーション、票集め)を根本から覆された。

▶︎安冨氏は東京大学の教授であり、著書も多い。学術書も多いが中でも私が好きなのは「生きるための経済学」「生きる技法」

 

生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)

生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)

 
生きる技法

生きる技法

 

 ▶︎退団した合唱団の仲間から、昨夜メールが来た。私がやめたことに驚き、やめた後もなんらかのつながりを持てたら嬉しいという趣旨だった。

▶︎人は形はどうであれ、一人一人がつながりあって支えていくことが大切だと思う。このようにメールをくださったこと自体私は嬉しい。

▶︎この一人一人のつながりあい、コミュニティが出来上がる。本来そういうものだと思う。しかし、日本の多くの現状はコミュニティと称する「組織枠」を作り、そこに人間が当てはめられていく。

▶︎オペラ劇場を作って、そこでどこかの「団体」にオペラやってくれという日本の劇場が圧倒的。オペラをやりたい人が集まって劇場を作るのではなく、箱を作るからその中でやりなさい、と。

▶︎ということで日本のオペラハウスはどこもオペラはほとんどせずに、演歌やポップスコンサートに使われる。

▶︎芸術なんて、箱や枠を外すところから生まれるからむしろ箱をあてがわれてそこにはまるのをよしとしない。規制品ではなく、自分が作る!それが芸術なんだと思うが。

▶︎すぐに「団体」「組織」に寄っかかって、個人がどう感じるかどう行動するかに非常に鈍感になっているな、と最近私は気づき始めた。個人が活かされないで集団の意向が先行する。組織や団体は暴力を伴うことが構造的にあるのかもしれない。個々人は善良に見えるが、集団になると違うものになるのか。大げさかもしれないが全体主義か、リヴァイアサンか。これはもう少し考えてみたいところだ。

 

全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】
 

 

 

全体主義の起原 2 ――帝国主義

全体主義の起原 2 ――帝国主義

 

 

 

全体主義の起原 3――全体主義 【新版】

全体主義の起原 3――全体主義 【新版】