【読書】坂口安吾「堕落論」
このブログは御覧の通り、書評ブログではない。たんに自分の覚書として書き留めている。
読書はどんな読み方をしても自由だと思う。一気に読もうが、チビチビ読もうが、ザックリ読もうが、細かく読もうが、速く読もうが、遅く読もうが、、、、個人の自由である。
だから私は私の好きな読み方で自由に読んでいる。
これはいまさらながら実感していることだが、
本を読めば読むほど、思考に幅と奥行き、多様なものの見方ができるようになるし、社会のからくりも見えるようになってくる。
古典的な名著名作、あるいは自分の感覚でこれは読んだ方がいいかな?というピンと来た本を読んでいくと、こういった思考の深まり幅奥行が出てくるように思える。
ブログを書いている時間があるなら本を少しでも多く読んでいきたいので、長文を書くのは避けているというのが本音。
御覧の通り、ここのところは、ベストセラーや新刊本はほとんどなく、古典書が多いので、ブログを読んでくださる方はどう思っているのかわからないが、名前は知っているけど読んだことがない、というものもあるかと思う。
もし、名前は知っているけど読んだことがないと思われる、気になる本に出合ったら、読んでいただけるきっかけになれば私もうれしいです。
浪人生時代に塾の講師から勧められた坂口安吾の「堕落論」「日本文化私観」。
「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。」
大学浪人が堕落だと思っていた私に、ものすごい勢いで迫ってきた言葉だ。
オレはまだ甘いな、と思った。なにが大学に落ちただけで堕落か。人間の全存在が堕落って…。
今は、堕落論はもっとリアルな自分としてとらえている。まだまだ全然堕落していないのでもっと堕ちていかないとダメだ。それは他人と比較するとか空気を読むとかセコイ世間を突き抜けて、世界を俯瞰するということと同義である。
まだまだオレは突き抜けて堕ちていける。安吾を再読してそう思った。