音を読む 本を聴く

イトウの音と本の綴織

【読書】読書術マニアにならないために

今日で4月も終わり、5月に入る。

4月の読書のまとめは明日にでも行なうにして、今日は自戒を込めた内容を。

 

読書をする人には共通した悩みがどうもあるらしい。

それについて私の経験と今の状況を含めて書いてみたいと思う。まず思うのは

読書した本の内容をしっかり覚えて実践したい

これは確かに重要。こう思うこと自体、自分が勤勉な証拠。まずは自分を褒めましょう!

自己啓発本などを読むと、実践したくなりますよね。

でも、すぐに忘れてしまう。俺ってバカなんじゃないか?記憶力が悪くなったんじゃないか…とモチベーションが下がり、自分の評価すら下げてしまいます。

しかし、実はほとんどの人が実践しないので安心しましょう。

それでは安心できない人はおそらく次に進むと考えます。

記憶術・読書術関係の本を読み漁る

どうやったら記憶に残る読書ができるのか?

この類の本はお分かりのように数百冊単位で出版されています。

100円ノートに記録するとか、エバーノートに入力するとか、パソコンのテキストエディターに入力するとか、三色ボールペンで傍線を引いて後で読み返したときにわかりやすくするとか、

私も考えうる限りのことをしました。

しかし、長続きはしませんでした。なぜなら、簡単。すべて自分がしたい読書には合っていなかったのです。

それからほかにはこんなことも

速読術本や速読教室に通ってみる

実は20年位前、私も速読教室に3か月ほど通っていました。

簡単な児童書を速くめくる訓練とパソコン上の画面を視点を動かさずにどんどん見ていく訓練。視点を動かして字をなぞっていると先生から注意されました。

で、速読術は習得できたのか?

答えは否、でした。確かに字は速く読めるようになりましたが、内容は全く理解できませんでした。教室としてはこれで速読できるようになったということでした。

しかし、こちらとしてはどうも納得がいきません。これ以上お金をつぎ込んでも無駄と思い、速読はやめました。こんなの嘘だと。

 

それから、昨年に至るまで読書はそこそこ、しかし自分の中ではくすぶっていたものがありました。

哲学書や古典書をたくさん読めるようになりたい

という願望だけが残りました。

そんななかでネットで検索したら


高速×大量回転!の効果 図解 実践 どんな本でも大量に読める速読の本


速読本の著者と語る! 果たして速読術はどれくらいで身につくのか?


一月万冊 宇都出雅巳さん どんな本でも大量に読める速読の本

 

こんな動画を発見してしまいました。このブログではおなじみの

宇都出雅巳著 どんな本でも大量に読める速読の本

もはやこのブログで何度も紹介しているので多くは語りませんが、私は古典本を多読したい、という欲求に答えたのはこの本だけです。

 

どんな本でも大量に読める「速読」の本 (だいわ文庫)

どんな本でも大量に読める「速読」の本 (だいわ文庫)

 

 本の内容は割愛します。

私のように古典本を読むには、その本についての知識(ストック)があればあるほど深く理解できる、速く読めるということです。

それではやってみます。

 

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

 

何度も 目次を見る(読むことはしない、理解しようとあえてしない)

まえがき、あとがきがあれば何度か見ておく。

それから

本文を見る。これもあえてわかろうとせず、なんとなく本文を見ていきます。

見るだけなら確かに簡単。10回くらい繰り返しても30分から45分くらいでおわります。

しかし、ここで最も大きな疑問

内容は理解しているのか?おれ。

本を閉じ、内容を思い出します。ぼんやりとした感じでクッキリしません。

しかし宇都出さんは言います。

内容を理解するには知識量(ストック)を増やすしかない。

ストックを増やすにはたくさん読むしかない。

沢山の本を繰り返し読んで少しずつでもストックをためていくこと。

そうすることで次第に本は速く理解でき、かつ記憶に残る。(高速大量回転)

 

まあ、実も蓋もない話です。宇都出さん自身もそう書いています。

でも誰もが本を読む時、自分の記憶・知識(ストック)を使って読んでいるということは非常に納得がいきました。

そもそも読む時点でわからないことが、読むことで全てわかるようになるというのは幻想と言っていいでしょう。

そして、そもそも読書で一番大事なことはなんなのでしょう。

私はこう考えます。

細かい内容よりは、

著者がその本で何が言いたかったかを理解する

に尽きると思います。つまり自分が重要だということをメモしても構わないけれど、そこは実はあまり重要ではなく、忘れても構わないことなので、私はメモはやめました。

その代わりに著者の論点を思い出すには、再び本を開き、ざーっと読み返せばいいのです。そこで、ここは覚えている、忘れた、と切り分けていき、その記憶の中で重要らしいことをもう一度読み返す。

もしわからないところが重要そうなら、そこはじっくり読み返す。それでもわからなかったら、無理にわかろうとはせず、いつかわかるさ、と思い本を閉じます。

でも疑問に思う人もいるでしょう。

いつになったら、そのやり方ができたか実感できるか?

これは宇都出さんも言ってますが、その人のストックの差ですぐできる人と、何年かかかる人もいるということです。他の方の意見では1年1000時間、1日3時間続けると見えてくるとも。

 

でも分からない本はずーっとわからないままなではないのか?

私の実感から言うと、分かりたいと思う欲求があれば、少しずつでもわかるようになります。関心のあることは自然と記憶に残りやすいので、ストックが増えます。そうすると徐々に内容が馴染んでくるようになると思います。一瞬でわかるのではなく、少しずつ馴染んでくる、慣れてくるという感覚です。

 

最後にもう一つの疑問

そんな何度も読むのだったら、じっくり精読した方が簡単じゃないか

確かに。そう思うのであれば、そうした方がいいでしょう。

しかし、今までそのようにじっくり精読していたから、途中で読み切れずに終わっていたのではないでしょうか。時間がかかりすぎて本の最初の方に何が書かれていたかすら忘れていたという経験はなかったですか?

私は思います。

同じ時間をかけるならまず何度も読み返し高速大量回転しながら少しずつストックを増やしていき、とりあえず最後まで読み切ることをする。

何度も読んで(私は1回で最高10回転まででやめますが)、分からないものは、そこでとりあえず見切りをつけて、また気が向いたときにパラパラとめくってストックが増えているかチェックしながら見てみよう、と思って本棚に返します。

 

私は今、月に120冊から150冊を読んでいます。(これは再読を含めたのべ数なので極端な話、5回同じ本を読んだら5冊とカウントしていますが。)

今年に入って宇都出さんのやり方で多読していますから4か月でこのくらいの冊数になりました。

では内容の理解度はというと、これは客観的に測れませんが、一字一句読もうとしていた今までの普通の熟読に比べても変わりません。むしろ何度も繰り返し読みたいと思って読むので、却って読みっぱなしの本が少なくなり、再読を繰り返すのでストックが増えてきたように思います。

しかし、なんと言っても副次的な嬉しい効果として、

読んだ大量の本の中で記憶がつながって、より理解が深まってきた

ということです。この効果は自分がひょっとしたら頭がよくなったんじゃないかと錯覚(?)したほどです。まさに読書の魅力そのものが体感できたということでしょう。

 

補足 文学作品はどう読むか?

文学はその言葉の語調・文体があるので、高速大量回転がふさわしいかはご自分で決めるしかないでしょう。もし、ゆっくり文体を味わいたいのなら遅読でいいし、内容が難解な場合なら、とりあえず何回か高速大量回転してみるとか。まあ自由でいいと思います。

 

以上、私の読書はいまこんなんです。という話でした。

くれぐれも読書術のハウツーに振り回されすぎず、ご自分の望む読書生活を送ってください。私の例もあくまで参考にしてもらえればいいくらいの感覚で。

あと、義務感で読書してもあまり理解できないので、趣味の読書では義務感は完全になくした方がいいです。