良い音のする録音とは?
かなりブログ更新の期間が開いた。 最近メルカリでCDをたくさん入手している。
どうやら私は他人よりいい音への執着が強いようである。 とにかく音が悪いことが気に入らない。 引っ越す前のオーディオ装置が思う音が出ずに、相当に不満だった。
引っ越してから環境が変わり、音環境も変わった。
純セレブスピーカーの出会いは決定的だった。
下に画像は現在のメインの純セレブスピーカー。
これが素晴らしい。見た目をなんとかしたい…
今回純セレブスピーカーを作りながら、あらためて「自分にとって良い音とは?」という追求が楽しい。
どんな音が良いのか
音の良し悪しは好みである。 以上なのだが、それでは話が進まないので敢えて書いてみる。
例をあげよう。
Ray Charles - The Ray (Instrumental)
- アーティスト:RAY CHARLES
- 発売日: 2015/02/28
- メディア: CD
THE GREAT RAY CHARLES
これはレイ・チャールズが1957年に録音したインストルメンタルアルバム。(つまりレイは歌わずピアノ演奏のみ)
私はこのアルバムの存在を知らず、Apple Musicでながら聴きをしていてたまたま発見した。
他のレイのアルバムも聴いてみたが、このアルバムだけ突出して音が分厚い。
ジャズバンドとピアノという比較的小編成だからか、非常に音のまとまりがよいし、 一番の魅力はサックスやトランペットの音にしっかりした色を感じるということ。純セレブスピーカーで聴くとさらにバンドが目の前で演奏しているかのようで生々しい。
アトランティックレコード時代のレイの録音は軒並みこの分厚さが特徴のように感じる。
私にとっての音良さ=分厚さ
私が中高生だった1980年代はアナログレコードからCDに音楽メディアが遷移していた時期である。 この80年代の音というのが曲者で、今この時期の録音を聴いても突出して音がペラペラで薄く感じる。
70年代の歌謡曲 https://youtu.be/marVwFNDDicyoutu.be
80年代〜90年代歌謡曲 https://youtu.be/vF3zl9c7T2Iyoutu.be
聴き比べてお分かりになるだろうか。
70年代は簡単にいうと音が分厚い。80年代は音が薄くなる。 音がトゲトゲしない。おそらくアナログの音だからだと思う。
おそらくCD化されたアルバムを聴くともっとはっきりするのでどこかで聴いてみると良いだろう。
時代が新しくなれば良い音になるとは限らない
私はCDが出る前つまり70年代までの録音に音の良さを感じる。
そこで意図的に1950年代から10年単位で録音された音楽を聴いてみて。
今のところ古い録音だから貧しいということはない。むしろ現代の録音より1950年代の方が「うわぁ、この音めちゃくちゃいい!」と感動することすらある。
いい音とは魅力的な音といえるかもしれない。
【日記】2019年5月30日
なかなか体調が上向きにならないが、それでもとりあえず生きている。
病気不幸自慢はもううんざりしているので書くつもりはないが、本当に日本の医療は患者を治療するということを目標にしていないと思う。単に薬を処方するだけで、これなら医者でなくともやれるんじゃないか。
5月19日、純セレブスピーカーイベントに参加するために、東松山に行ってきた。
交通費が捻出できず、ネット上で妻が訴えたおかげで、多くの人たちにカンパをいただいた。
参加することが出来た、そのことも書きたいが、まだキーボードを長く打っていることができない。
もう少し、よくなるといいんだが。少しでいいから。
大好評だった折り紙スピーカー。これをつくるワークショップとスピーカーの音を楽しむレコードコンサートをやりたいと思う。
そのためにはあと少しでもいいから動けるようになりたい。
【音楽】【オーディオ】純セレブスピーカーの作成報告
純セレブスピーカーの近況報告
聴いているシステム
ONKYOのレシーバーアンプ(右)。レストアした中古品をメルカリで6千円ほどで購入。
Pioneerのネットワークオーディオプレーヤー(NAP)。
新品を昨年ウッカリ買った。3万円(私には高価すぎる…)
純セレブスピーカー。スピーカーのユニットはダイソー製を分解し使用。
箱は友人の紙器会社商品の規格外品(?)を譲ってもらった。
他のシステムでも聴くが、全てスピーカーは純セレブ化している。
CDはONKYOのレシーバーで再生する。
PC音源やAppleMusic、ネットラジオはPioneerのNAP。ここから上記ONKYOレシーバにAUX入力して音を出している。
システムの価格はNAP含めて計3万6千円。NAPは完全に無視するなら6千円。
音質
以前からダイソースピーカーのユニットで試作していたが、自分がこれ!という音にならず苛ついていた。
たまたま、紙器会社の友人に頼んでいたいくつかの箱を試していたところ、和菓子の箱から素晴らしい音が出た。
以前、純セレブスピーカーの発案者、片岡祐介さんが「和菓子の箱がいい音がする」と言われていたことを思い出した。
この箱は密度が高く、硬めのボール紙の材質が良いのかもしれない。
このスピーカーの特徴
- 音の反応がよい。
- 音の離れが良い。
- 高音がめちゃくちゃキレイ。
- 低音もバランス良く鳴る。
- SP録音やモノラル録音の音が聴き違えるくらい魅力的。
- EDMや電子音が多い音楽は時にキツく聴こえる。
いいところが多いが、すこし気になる部分もあるのは確かだ。
1961年録音のビブラフォンが聴き惚れるほど美しいと感じるときもあれば、今年のJポップでもスカスカで聴くに耐えないものになったり。
クラシックの録音でも差が明確にある。オーケストラの録音は基本的にはモヤつくので魅力はさほど感じないが、1960年前後のマーキュリー・リヴィングプレゼンスの録音やRCAのフリッツ・ライナーの録音などは分厚いホットな音で聴けた。
民族音楽や現代音楽、中世ルネサンス期の合唱音楽もほぼすべてが素晴らしい。
いずれにせよ、ジャンル関係なく録音の差がハッキリすることは確か。
純セレブスピーカーは本当に素晴らしい。まだ全然本気にしてくれない人が多いけど!!
純セレブスピーカーを知りたい方はこちら。 純セレブ堂.
【音楽】日本アマチュア合唱の衰退〜合唱人はラップ聴け〜
世の中は紛れもなく大変化している。5年前の社会とは今は違うし、1年前とも違う。 社会構造の変化だけではなく、人の認識も変化している。 問題は変化を認識している人と、全く認識していない人の間の分断だ。
年齢が高くなれば変化を嫌う傾向は昔からある。しかし年齢だけではなく、思考の保守化・固定化が非常に気になるようになった。
柔軟に対応する人も多い半面、従来の考えに固執する人がいることが明確になったような気がする。
自分がどう思うか?感じるか?から。
先日CDを聴いていた。スウェーデンの男声合唱団オルフェイドレンガルだ。
Orphei Drängar 合唱のためのコンポジション第3番〜Ⅰ. 艫
私は約30年間日本の合唱に触れてきた。いつも他国の歌・合唱音楽を聴くにつけて、日本のそれと根本的に何かが違うと考え続けてきた。
結論からすると
他国は個人の表現ありき
日本は全体の表現ありき
他国とはかなり粗い比較だが、少なくとも日本は個人の感覚や表現は全くと言っていいほど尊重されない。
私は高校の部活動から合唱音楽をやってきた。 そこにはなにがあったのか。 一つの正しい発声や音程に合わせることが音楽。 つまり、個人ありきではなく、同質性が音楽の前提なのだ。異質は認めず排除される。
個人の発声や感じていることはどうでもよい。それを示しても尊重されることなく、考えを示しても無視されたりバカにされて終わる。
さすがにそんな全体ありきの音楽表現なんてアウトオブデイトだろう?と思うかもしれない。
私もそう思っていた。しかし依然として全体ありきの音楽を行っているのが日本のアマチュア合唱界の現実のようだ。少なくとも昨年私が在籍した合唱団のあり方はそうだった。
もう全体や立場ありきの発想はやめよう
合唱という音楽形態は全体性が強く出がちだ。 個人が蔑ろになる可能性は強くなる。 しかしすでに現代はインターネットにより、個人がどう感じるか、どう行動するか、がはっきり示すことが出来る時代だ。 ならば個人の表現をはっきり持つことが重要になる。
もともと音楽は個別ものであり、その個人の主張が集まった集団ならば熱量は高くなると私は考える。
しかし個々人の主張がなく、全体ありきの活動を続ける人が多いのであれば、必然的に集団の熱量は低くなる。
つまり、個人の表現が蔑ろにされれば集団の熱量は低くなり、合唱団の衰退になると私は考える。
個人の表現が尊重されていない日本の合唱
日本の合唱は正しい発声や正しいハーモニーに「矯正」することが最初にある。
もともとの個人の声のあり方や音楽の感覚より、「まず正しい声づくり」や「正しい音感育成」なのだ。
ここでは自由さや感じる楽しさは蔑ろにされる。
そもそも若い人が自分の表現が尊重されていない音楽に進んで入るとは思えない。
日本の合唱は間違いなく衰退へ
先月、私は娘と東京下北沢にラップバトルを見に行ってきた。 非常に熱量の高いライブだった。そこには積極的に音楽に参加している若者がたくさんいた。
あの熱量はラッパー個人のガチの表現があるから成り立つものでり、 個々の表現に魅力があるのだ。
それは上手い下手という「他者や全体としての正しさ」ではない。
自分とはなにか?表現したいことはなにか?という「個人的なリアルの表現」である。
そこにみんなは魅了されていると私は感じた。
合唱人はラップバトルを見ろ
ラップバトルを見るにつけ、これは絶対に合唱はこれには勝てないと思った。 個々人の自由な考えが尊重されない場所が魅力的だとは私は考えない。
今の日本の合唱は 「みんなで同じことをやる」なのだ。
この価値観が良しとされるのは学校だけである。 これを引きずり、当たり前だと思っている人も多いようだ。
だが、そんな価値観を支持できない人が多くなってきた。
なぜなら人間は自由を求めるから。 より自由な表現の場に魅力を感じるはずだと私は思う。
ゆえに、個人表現を蔑ろにし続けるならば日本の合唱は必ず衰退する。 みんなで同じことをするのに喜びを感じる前に個人が喜びを感じることが大切であるし、それがはっきりしてきた。
日本の合唱が衰退しないための方策
それには、どんな表現であれ個人の表現は尊重する姿勢を貫くことであると私は思う。
発声方法を一方的に押し付けたり誘導したりしない。 音程が悪いと言って強制的に正そうとしない。 指導者の意図通りにいかなくてもいい。
「そんなことをしたらぐちゃぐちゃになるではないか?」 「音楽が成り立たなくなるではないか?」
そういう意見は見当外れだ。
個人が表現している音楽を他人が勝手な意図で誘導しようとすること自体が傲慢な行為ではなかろうか。
統率もなくていい。カオスも出来ていい。主張をしていく中で共通する音楽表現が出てくればいいのである。
別にカオスはカオスで愉しめばいいのだし。
え?こんなの理想論だって?
そうだろうか。
この基本的な発想から逃げているから衰退しているのだ。
自由な表現が出来ないところに多くの人は集まらない。
ただそれだけなのだ。
合唱人はラップを聴いて何かを感じたほうがいい。
【日記】2019年4月20日 音楽は生きている
今週1週間仕事を休んだ。 かなり体調が悪かった。
痺れと痛みが同時に来る。もうすこしなんとかならないかと思い、漢方治療に励んでいるが、狙ったとおりに行かない。
2年前よりは身体が動くようになったが、熱や痺れが出るようになってそれはそれで生活の困難さが伴う。
今週は指や腕に痺れが強く出て動かないくらいの苦しさがあった。
だから読書も難しい。キーボードはなんとか使えたのだが、腕が痛いので休み休み。目は充血し口の中が腫れて出血もあった。 なんとか耳は大丈夫なので音楽は結構聴いていた。
純セレブスピーカーでいい音が聴けることは幸甚。CDやネット音源も今までとは異なる良好な音質で聴ける。
先日、指揮者アンタル・ドラティの名録音集10枚ボックスが出た。米マーキュリー音源と思われる。 私もマーキュリーの録音は好きな音の方向。ミネアポリス交響楽団を振ったストラヴィンスキーの春の祭典やペトルーシュカはよく聴いていたので、購入。
アンタル・ドラティ 名演奏集 CD タワレコヤフーショッピング
・構成数 | 10
・収録曲 | 【曲目】
Disc. 1
チャイコフスキー:祝典序曲「1812年」、イタリア奇想曲
ロッシーニ:歌劇「泥棒かささぎ」序曲
アルベニス(アルボス編):組曲「イベリア」
ファリャ:歌劇「はかなき人生」より間奏曲と舞曲
ミネアポリス交響楽団
1954年、1957年録音
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
ロンドン交響楽団
1960年録音
Disc. 2
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
ムソルグスキー:歌劇「ホヴァンシチナ」より前奏曲、ペルシャの女奴隷の踊り
ミネアポリス交響楽団
1959年録音
リムスキー=コルサコフ:ロシアの復活祭、スペイン奇想曲
ロンドン交響楽団
1959年録音
Disc. 3
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
バイロン・ジャニス(pf)ロンドン交響楽団
1961年録音
バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番
ユーディ・メニューイン(Vln)ミネアポリス交響楽団
1957年録音
Disc. 4
R.シュトラウス(ドラティ編):「ばらの騎士」組曲
交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
交響詩「ドン・ファン」
交響詩「死と変容」
ミネアポリス交響楽団
1955年、1958年録音
Disc. 5
リスト:ピアノ協奏曲第1番
アルトゥール・ルービンシュタイン(pf)ダラス交響楽団
1947年録音
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲Op.53、
スケルツォ・カプリチオーソOp.66
ナタン・ミルシテイン(Vln)ミネアポリス交響楽団
1951年録音
スメタナ:歌劇「売られた花嫁」より序曲、ポルカ、フリアント、道化師の踊り
ミネアポリス交響楽団
1958年録音
Disc. 6
ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
1961年録音
ワーグナー:歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲
歌劇「タンホイザー」より序曲、ヴェヌスベルクの音楽
歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲
楽劇「パルジファル」より聖金曜日の音楽
ロンドン交響楽団
1959年、1960年録音
楽劇「トリスタンとイゾルデ」より第1幕への前奏曲
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
1959年ライヴ録音
楽劇「トリスタンとイゾルデ」より愛の死
ロンドン交響楽団
1959年録音
Disc. 7
ガーシュウィン:パリのアメリカ人
コープランド:バレエ音楽「ロデオ」
ガンサー・シュラー(1925-2015):パウル・クレーの主題による7つの習作
ブロッホ:シンフォニア・プレーヴェ
ミネアポリス交響楽団
1957年、1960年録音
Disc. 8
プロコフィエフ:交響曲第5番、スキタイ組曲、組曲「三つのオレンジへの恋」Op.33a
ミネアポリス交響楽団
1957年、1959年録音
Disc. 9
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)、バレエ音楽「春の祭典」
ミネアポリス交響楽団
1959年録音
R.シュトラウス:楽劇「サロメ」より7つのヴェールの踊り
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1962年録音
Disc. 10
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」全曲
ミネアポリス交響楽団
1955年録音
ムソルグスキーの展覧会の絵、リヒャルト・シュトラウスのオケ曲、録音の素晴らしさがよくわかる。
純セレブスピーカー友人の紙器会社よりいただいた和菓子の箱で作った。 ユニットはダイソーのスピーカー使用