【読書】年間1700冊以上読書して何を得たのか?
読書メーターで昨年読んだ本は以下。内容をリンクさせると膨大になるので、事実を挙げておく。
2017年の読書メーター
読んだ本の数:1708
読んだページ数:481548
ナイス数:24253
私の読書のスタンスは、10代の頃から実はあまり変わっていない。
本を読むということは図鑑や学研マンガを読むことから始まり、年を経ることに幅広く深くなっている。正常進化だ。
で、結果1年間で何を得たのか?
本を読んでどんなに感動しても、
行動しなければ自己変革もないし、
社会をよりよく変えることなど絶対に出来ない
という身も蓋もない事実だったのである。
私が20代の頃、もっとも仕事と趣味に無茶苦茶し過ぎたことで、体と精神にダメージを得た。おかげで仕事を1年弱休職せざるをえなくなり、結果としては退職することになった。
この時に相当苛烈な体験をして、死すらも考える日もあったことを告白せねばなるまい。
でも現時点でこうして生きている。十分にサバイバーである。
さて、20代から30代の読書は成果即効性を求める読書であったことを正直に書いておく。自己啓発系の本やプログラムにハマってしまい、知らないうちにオカルト的な考えを持っていたのだ。
所謂「願えば叶う」「引き寄せの法則」のようなものである。
確かにこれらの言葉は決して非合理的ではない。しかし、本質を私は見誤っていたのである。
願っていても、自分が行動しなければ、現実は変わらない。
同じ考えの物やことに引き寄せられても、お金が寄ってくるわけではない。
今思えば当たり前すぎる事実なのだ(笑)。
新卒で就職した職場を10年で事実上、病気退職した時、全く生きる軸を見失っていた。
それを埋め合わせるように、所謂「感謝の言葉を1000回毎日唱えなさい」「ついてるを言い続けなさい」とか書いてある本を正直に実践した。
今考えると、あんなに必死になって毎日「ありがとう、ありがとう、ありがとう…」と言い続けていたのか、まさに「溺れる者は藁をも摑む」状態であった。
10年くらい前に流行ったカツマーやライフハック本もかなり一生懸命読んで実践した。やたら資格や収入に繋がる勉強をするという物だったが、そのノウハウにも違和感を感じていた。(この当時勝間さんはパナソニックのレッツノートをスタバで使って仕事をするノマドスタイルを提唱していて、リアルに仕事帰りにスタバに寄るとまさにレッツノートを使っている方をよくお見かけしたが…。)
それらの自己啓発本オカルト本はとうの昔にブックオフに売却して今手元にはない。
最近、当時読んでいた本をブックオフなんかで読み返してみた。
「単なる流行本で、数年でクズと化す」という事実を確認してしまった。
つくづく、読書することは必要ではあるけれど、読書しているからといって全知全能になれるわけでもないのに、ついそう思ってしまう陥穽があるのも現実なのだ。
どれだけ本を読んでも人は世界を知り得ることはできない。読めば読むほど、多様で複雑な世界を生きている自分のちっぽけさを知るだけである(でもそのちっぽけさが人間の価値なのだとも思う)
なのに、私は数年で陳腐化するような本を、20代から30代にかけて必死で毎日読み続けていたわけだ。
こんなんで社会的構造や現実を知り、それを応用実践できるはずがない。
今月も今の時点で200冊近く読んでいるが、新刊本は極力読んでいない。
申し訳ないが新作小説を読むことも意識的に外している。
自己啓発本もほとんど読まない。というか、それ系の本は基本的に過去の古典本の焼き直しなので、立ち読みで終わってしまう。
有限な自分の時間を陳腐なストーリーで満たしていたら命がいくつあってもたりない。(と言いつつ、たまにラノベを読んで、やっちまった!と思うこともあるが)
現在は基本的に古典書を極力読んでいる。古典でもまだまだ全然読みたりない。おそらく古典を読み、考え、実践するだけで、私の生涯は終わるのではないかと思う。
少なくとも読書に関しては、古典9割で残り1割は目利きで良書をピンポイントで狙って、豊かな人生を送ることに注力しようと思う。
そして、その豊かさとは何か?
それは自分自身の本音に向き合うほかない。
それは正解はない。
世界は複雑だから。
単純な世界に生きようと思ったらファンタジーに行け。
でもファンタジーだけで生き続けることは楽しいのだろうか???